失敗しても、私は後悔しないことにした。2006年11月6日
朝、母は咳き込んだ後吐いた。
嘔吐は咳が原因であるが、最近食欲がなく吐きやすい状態が続いている。今まで朝は体調が良く、必要な量を食べてくれるので助かっていた。もし、朝の食欲が衰えてしまうと、栄養不足に陥り厄介なことになる。
母に何かある都度、いよいよ肝臓ガンの症状が出たと思ってしまう。今日は東京北社会保険病院眼科と浮間診療所での診察日。その時、それらの報告をすることにした。
東京北社会保険病院の待合室では患者の名前ではなく、番号で呼ぶように代わっていた。プライバシー保護の為だが、まごついている老人が多かった。
先月の診察日、入院している知り合いを見舞おうと病棟へ行ったが名札がなくて分からなかった。フルネームの名札はプライバシー上問題があるので、それは良い変化だと思う。
眼科の診察はすぐに終わった。時間があるので、皮膚科へ回り、母の辱瘡の薬プロスタンディン軟膏を処方してもらった。これは特効薬で、塗ると三日で潰瘍が治る。ついでに、母の手の甲の皮膚炎を診てもらった。私の印象では日光皮膚炎の初期に見える。医師は保湿剤を出すと言ったが、それは根治ではないので凍結除去を頼んだ。医師は丁寧に凍結してくれた。
帰りは生協でお昼の買い物をして、桐ヶ丘を抜けた。紅葉が始まり、目の前をハラハラと枯れ葉が舞っていた。滅入っていたので、秋めいた公園の道に安らいだ。
午後、浮間診療所へ行き、母と私のインフルエンザの予防注射をしてもらった。診察の時、母の症状を伝えたが現状では経過を見る他ないようだ。
帰り、黄昏の新河岸川河畔の道を母の車椅子を押した。「夕日の光がきれい。」と母は川面を眺めていた。
不意に、夕暮れに母に手を引かれて歩いていた子供の頃を思い出した。それは小倉の伯父を訪ねた時のことで、豆腐屋のラッパの音、砂利道を歩く下駄の音と昔の都会の情景が次々と思い出された。
終戦直後の当時は各所に焼け跡が残っていた。その中を占領軍のGIが深紅のスクーターを疾走させて行くのを私は目を丸くして眺めた。水洗トイレと広い芝生のある瀟洒な米軍宿舎と、焼け跡に立つくみ取り便所のバラック。ピカピカのアメ車と、不格好な木炭釜を抱えノロノロ走る木炭車に荷馬車。敗戦直後の都会風景は、後進国と先進国が同居する奇妙な世界だった。
車椅子を押しながら、母が逝ってからは、様々な母との記憶が繰り返し蘇るだろうと思った。
母は少しずつ弱っている。冬の散歩は今年が最後になりそうな気がしてならない。去年も同じ事を考えていたが、今年程の切迫感はなかった。
キリスト教徒なら「神の御手のままに。」と総てを神の意志に任せられるのだが、残念ながら私は無宗教で総てをお任せできる方はいない。
しかし、どのような結果に対しても後悔しないことにした。私は強くはなく誤りを犯す。強い相手を恐れて逃げたりもする。母の命運を引き受けるには私は非力すぎる。
昨夜のNスペで手塚治虫を取り上げていた。医師でありながら手塚は、数多くの胃ガンの兆候を無視して仕事を続け、手遅れにして死んだ。私はそれを間違っていたとは思わない。彼は自分の命運を大きな存在に任せたのだと思った。
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