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2007年4月 5日 (木)

限りなく飲み屋に近い小料理屋。2006年12月21日

今年は悩んだ末、年賀状を増やした。
増やしたのは営業用で、交友関係は出来る限り削った。しかし、総計250枚を超してしまった。それでも仕事が発生すれば、葉書やプリント代の経費は微々たるものだ。

毎日、母を病院へ連れて行っている。
母の体調は回復し始めたので、事後処理のメンテナンスである。加えて私の歯科医院通いもあるので、日中はいつも外を歩いている気がする。
歯は失う覚悟をしたら、苦にならなくなった。保険適用のみの治療を院長にも理解してもらっているので更に気楽である。

お昼前、生協浮間診療所へ母を連れて行った。まだ僅かに出血が残っているので、潰瘍の薬の服用は続く。今の潜血検査は極めて鋭敏で、たとえば歯茎からの出血でも、潜血反応は陽性を示す。鋭敏すぎるのは、良いのか悪いのか、考えてしまう。
診察の後、お昼の買い物へ出た。
途中、処方箋を薬局へ出した。しかし、後から来た客に次々と追い抜かれる。多分、東京北社会保険病院から処方箋FAX送信サービスを受けているのだろう。理由は分かるが釈然としない。ベテラン薬剤師達も何となく人間味に欠ける。
先月末閉鎖した馴染みの薬局が懐かしい。薬剤師は若い女の子ばかりで、可愛くて優しくて温かかった。

買い物から帰ると姉が来ていた。
姉は新橋の小さな限りなく飲み屋に近い小料理屋で働いている。回りには高級な小料理店が林立しているが、客は敬遠して姉がいる小さな飲み屋へ殺到するので繁盛している。
私の経験でも、小さな汚い店は落ち着く。昔、パロル舍が木賃アパートにあった頃、そこでよく薩摩白波を飲んだ。飲み仲間は他所の編集者や訳の分からないアーティストたちで、狭い場所にギュウギュウ詰めに座って深夜まで怪気炎を上げていた。
パロル舍はその後ビル1階の広いスペースに移った。ゆったり飲めるようになってからは、何となく客が減ったような気がする。そしていつしか、私も出入りしなくなった。

姉は母に仕事が忙しいと話していた。先日、姉の店に大学教授のグループが来たようだ。彼らは飲み屋の前に近くの小料理屋へ入ったら、一見の客はお断りで追い返された。それで怒って、小さくて汚い飲み屋へ入った。
話を聞きながら、そんなバブリーな営業をしている店が今もあることに驚いた。姉の話では皆一流大の教授達で、散財して喜んで帰った。高級小料理店は大きな賓客を釣り落としてしまったようだ。

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