自然公園のオカリナ。2006年12月30日
朝9時からの歯治療を終えて、10時半に帰宅して母を散歩に連れ出した。
今日はこの冬始めて緑道公園で霜柱を見た。すれ違う顔見知りたちは「寒いですね。」と挨拶をする。しかし、朝から走り回っていた私は汗をかいていた。
寒い赤羽自然観察公園は静かだ。遊水池傍の橋で「故郷」をオカリナで吹いている人がいた。冬枯れた自然の中で聞こえる透明な音色は心に染み入る。通り過ぎる時、「とても素晴らしい音色ですね。」と母が声をかけた。40代のその人は、川越から公園に植えてある原爆被爆の柿の木を見に来た、と話していた。静かなことが好きな人のようだ。私も最近、自然公園は静かな冬が素晴らしいと思うようになった。
田舎から送られて来た餅が冷蔵庫野菜入れの半分を占領している。市販品のように、包装されてカビの心配が無いなら大量にあっても困らないが、手作りの餅は、結局は食べないまま捨ててしまう。母は食欲がなく、栄養バランスに工夫を凝らす毎日なので、餅等の主食はなかなか減らない。かと言って、私一人では食べきれず、好意を無にするのが申し訳なくて辛い。
昔は、餅が多すぎて困る事はなかった。殊に我が家は大家族で、日に20個くらいのペースでなくなっていた。餅は餅箱に並べ、縁側の涼しい場所に積まれていたが、カビに覆われる頃にはなくなっていた。
餅は火鉢の炭火で焼いた。我が家の食べ方は、砂糖醤油につけて食べるのすが主で、時たま黒砂糖が手にはいると、きな粉に混ぜて安倍川を作った。
1月半ばが過ぎて、餅がなくなると無性に餅が食べたくなった。今のように一年を通して買える時代ではない。餅は特別のもので、郷里の日南市大堂津では漁船の進水式があると紅白の餅のお裾分けに預かった。今も、薄い塩味の付いた、つきたての餅の味を懐かしく思い出す。
松飾りは昨日28日に飾った。松は自然公園古民家の門松の残りを貰ったもので、それに古民家前の田圃の稲わらと金箔を使ってすっきりと仕上げた。お供えは、プラスチックに覆われた出来合いではなく、丸餅を重ねミカンを載せた。
昔風のお供えは味わい深いが、1日過ぎた今日はすでに表面が乾き、ひび割れ始めた。昔は、松の内が過ぎると、堅くひび割れた鏡餅を砕き、お汁粉や揚げ餅にして食べた。食べきれない分は冷水に漬けておいた。水餅は焼いて安倍川にして食べていたが、特有の臭気が厭だった。
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