2006年大晦日から2007年元旦へ。
大晦日
テレビを止めて仕事をしていると、除夜の鐘が聞こえた。
すぐにシャワーを浴び、新しい下着に着替え、筆洗いの水と仏壇と神棚の水を替えた。それから、お屠蘇を飲み、近所の神社に初詣に出かけた。近年、初詣も地元回帰でどこも長蛇の列である。寒い中、延々と並んで待ち、帰宅は午前3時になった。
元旦の朝はとても眠かったが、散歩はいつも通り出かけた。
母は気分が良いようで、すれ違う人誰彼無く「おめでとうございます。」と挨拶していた。皆、にこやかに挨拶を返しているのが不思議だった。
母の表情に穏やかさが戻っているのが嬉しい。今年は母に何があったとしても、気持ちは穏やかに推移するような気がする。
午後、去年亡くなったMさんの墓参りに出かけた。墓地は十条駅から歩いて10分程にある。墓には花が供えてあったが水が空なので、持参したミネラルウォーターで補充し、酒を供えた。
手を併せていると、30年前に亡くなったご主人とMさんが仲睦まじく立っている姿が幻覚のように思い浮かんだ。死までの数年、Mさんは心穏やかではなかったが、亡くなった今は安らかなのだろう。
十條から池袋へ出て、パルコの世界堂で木枠を買った。
パルコは若者達で賑わっていた。私は母の夕食があるので急いで帰路についた。これで、取りあえずやるべき事は終わった。明日からはのんびりできる。
元旦
静かな正月である。
「静かですね。」と合う人ごとに挨拶する。静かなのは、街に子供の姿が見えないからかもしれない。
昔の正月は、ちょっとした空き地があると、男の子は凧揚げにコマ回し、少し大きくなった若者達は羽根つきをしていた。羽根つきは大人も加わり、男女交流の場になっていた。男の子はわざと羽根を打ち損なったりして、喜々として女の子から墨を付けてもらったりしていた。そうやって笑い転げる若者達はいかにも正月の風物詩であった。
正月の駄菓子屋にはお年玉を手にした子供たちが殺到した。
駄菓子の間に、色鮮やかなペンキに金線が入ったコマや印刷インクの香り高いメンコやカルタやトランプの箱が並び、天井からは大小の奴凧が下がっていた。それらは思い出してもワクワクする光景だ。
新品のイロハカルタの帯封を切って畳に並べたときの新鮮な感動も懐かしい。
福笑いや、双六は雑誌の付録を使った。私は毎月、鉄腕アトムが連載してある少年雑誌の「少年」を買ってもらっていた。新年号には分厚い付録の袋が挟まっていて、中身を出す時の胸の高鳴りは今も忘れられない。
昔の子供たちは、正月のおせち料理を食べ終わると、新調した学生服に靴を履いて近所の広場に出かけた。子供たちは日なたぼっこをしながら、新しい靴を自慢し合ったりした。だから、真っ白な運動靴を買ってもらった時の高揚感は今も忘れられない。しかし、正月1日遊び回って帰ると真っ白な靴は土ぼこりで汚れ、子供ながら虚しさを覚えた。
上京してからは、毎年、正月には旅行をした。ある年、信州の山奥を旅行をしていた時、山間の人家もない道ばたに晴れ着の女の子が人待ち顔に立っていた。今なら男の車を待っていると思われるが、当時の若者で車を持つ者は皆無で、ただ、晴れ着を見せるため、誰か通るのを待っていたのだろう。今なら過疎の村からは若者は消えて、そのような姿は無い。当時は、どのような山奥にも大勢の若者が暮らしていた。
当時と比べると今は毎日が正月で、殊更正月によそ行きを着たり、御馳走を食べることはしない。そのように、いつの間にか正月の晴れ晴れしさは消えてしまったようだ。
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