正月が終わると暖冬。2007年1月11日
今日は浮間生協浮間診療所へ母を定期診察に連れて行く。
早く行くと混んでいるので、私はのんびりテレビを見ていた。10時、出かける準備を告げに行くと、母は上着を着て待っていた。母はせっかちで、私のようにのんびりするのが苦手である。
車椅子をセットして呼ぶと、母は嬉しそうに杖をついてソロソロと玄関へ歩いて来た。ゆっくりと歩いて来る母の姿は、更に老いて見えた。
予想した通り診療所は空いていた。待ち時間にラッキーの習作を描き上げるつもりだったが、その前に母は呼ばれた。医師の質問に「随分食欲は回復しました。」と母が答えると、医師は、回復が早いと嬉しそうだった。
潰瘍治療のため胃液を押さえる薬が処方されているが、私は密かに漢方の半夏瀉心湯を飲ませている。胃腸病に関しては、速やかに西洋薬で押さえ、その後は漢方を飲ませる方が結果は良い。
すぐに診察は終わったので赤羽駅前へ買い物へ出た。まず、イトーヨーカ堂へ寄って、母に車椅子用トイレを使わせた。それから、私の運動靴を買った。
母はお昼にケンタッキーフライドチキンが食べたいと言った。不安だったが5ピースの箱を買った。揚げ物を欲しがるのは回復した証拠だろう。
帰りは高架下のビバホームの売り場を抜けて八幡神社下へ出る。
ビバホームに入ると、顔見知りの母娘が声をかけて来た。母親は帰国残留孤児で日本語は流暢ではない。彼女は「お母さん、元気でよかったね。」と嬉しそうに母の手を握って片言で話しかけた。中学生の娘は登校拒否しているようで、平日の日中の散歩道でその母娘とよく出合う。
ビバホームを出て、高架下を出た信号機辺りで、小次郎ちゃんのお母さんに出会った。会うのは今年始めてである。見かけないので、どうしているか心配していたので安堵した。しばらく、小次郎ちゃんを可愛がってから別れた。
帰りが遅くなったので、カリフラワーとフライドチキンで簡単に昼食を済ませた。
昼食後、母をベットに寝せる時、いつもは自分で足を上げるのだが、今日は疲れて調子が悪いので手伝った。ベットから出ている両足をソロリと持ち上げると、母は痛いと大きな声を出した。圧迫骨折をしている腰椎に負荷がかかったのではと、ヒヤリとしたが、痛みはすぐに治まった。母のケースでは、常にゆっく体の具合を確かめながら行うのが原則のようだ。これからは気をつけなくては。
1月12日
翌朝、母の激痛が気になっていたが、普段通り起床して顔を洗っていた。
年賀状は私に2通来ていた。他に母が宛先を間違えたのが1通戻っていた。戻された葉書は近所宛なので散歩のついでに郵便受けに入れておいた。これで、年賀状は総て終わり、来週からは正月気分は消える。
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