夜の浚渫船 2007年1月17日
年始から、下の新河岸川に浚渫船が停泊している。
作業はクレーンでつり下げた大きな鰐口のようなグラブバケットで川底をさらい、運搬船へ土砂をあける。私が見ていても面白いのだから、子供が見たらとても喜びそうだ。
昨日の夕暮れ、歯治療の帰りに通りかかると、クレーン船に灯りが灯っていた。
クレーン部の後ろに平屋の居住部分があり、作業員が寝泊まりしている。時折、暖かい白熱灯の灯った室内で仕事を終えた作業員が動くのが見える。
ディズニーランドのカリブの海賊の入り口に、夜のカエルが鳴く沼地がある。その岸辺には石油ランプが灯る粗末な小屋がある。そのベンチでは、お爺さんがバンジョーを引きながらカントリーを楽しそうに唄っている。それはアトラクションの中でも大好きな光景だ。夜のクレーン船はそれにとても似て心地良さそうで、しばらく見とれていた。
昨日の朝、早く母に起こされた。
「朝食のご飯は何処にしまってあるの。」と聞く。しかし、母の食事は3度とも私が全部用意している。
「何言ってるんだよ。何時も僕が作っているだろ。」と言うと、
「あら、そうだったね。」と、すぐに正気に戻った。
2年前まで母は5時に起きて、前夜、私が用意しておいた朝食を自分で暖めて食べていた。その頃の習慣が蘇り、勘違いしたようだ。
今は、毎朝6時に母は私と一緒に起床する。他にも、小さな勘違いは多いが、ほがらかにしているので気にしていない。
そのような母の惚けは、死を迎える準備みたいなもので、正常な生理現象だと思っている。それがあるから、老人は余命が短くなったことが気にならないようだ。
しかし、必要な記憶はしっかりしていて、まだ留守番電話役はできる。昨日も、私が歯科医院へ行っている間、知人からの電話に受け答えして、帰宅した私に内容を伝えてくれた。母は去年はいろいろなことがあった。今年は更に変化があるだろうが、淡々と受け入れようと思っている。
今日は散歩に出る頃に雨が降り始めた。
雨の散歩は準備に手間取る。雨コートを着て、台所を慌ただしく行き交っていると、袖で砂糖壷を引っかけ床にぶちまけてしまった。泣きっ面にハチである。急いでちり取りに集め、床に残った砂糖は雑巾で拭き取った。
昨日、62歳になった。以前との違いは、そのように体の切れが悪くなったことだ。体力だけは変わらないと密かに思っていたが、過信は禁物のようだ。
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