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2007年4月 8日 (日)

兄からの葉書。2007年1月6日

朝8時半から母のペインクリニック。母を治療室に置いて、一旦帰宅して洗濯を済ませた。その後、出していない相手から来た年賀状に返事を書いた。今年こそ、疎遠な人とのやり取りは減らそうと思っていたが、そのように、なかなか減らせない。
年賀状を書き終えた頃に整形外科から治療が終わったと電話が入った。すぐに迎えに行き、母の車椅子を押して散歩をした。

家に籠っていると、仕事の先行きや、健康の事等厭な事ばかり考えて滅入ってしまう。しかし、自然の中を歩いていると厭な事は忘れてしまう。緑道公園の日溜まりで一休みしていると、母は持参した兄からの葉書を読んでいた。

葉書には、30年近く前、兄と母と3人で晩秋の黒部に行った時の思い出が書かれていた。九州在の兄には、北アルプスの雄大な風景が強く印象に残ったようだ。

大阪の大阪城公園に殉職した教師の慰霊塔がある。
10月下旬、母と兄と私は中学教師在任中に急死した長兄の合同慰霊祭に参列した。そして、私たちは黒部に足を伸ばした。
富山平野は紅葉が始まったばかりだったが、美女平へ登ると既に冬枯れて谷筋に雪が見えた。更にバスが弥陀が原へ進むと穏やかな秋日和は猛吹雪に激変した。室堂に近づくと、バスに並行して走っていた管理事務所のジープが強風でハンドルを取られ吹きだまりに突っ込んでしまった。

室堂のトンネル入り口で、私たちは寒さに震えていた。しかし、室堂からダム湖へ降りると再び穏やかな晩秋の景色にもどった。湖畔でホタテ缶入りのラーメンを作り、3人で食べた。食後は傍らの沢の水でお茶を入れた。お茶は持参した安物の番茶だったが、母は今も、あれ以上に美味しいお茶はないと話す。
兄とはダム湖で別れ、兄は室堂経由で富山へ引っ返し博多へ帰って行った。後で来た兄の手紙に、猛吹雪の中、バスは大変な思いで美女平へ下ったと書かれていた。
「行ける時に、行っておくものだね。」と車椅子の母が話した。確かに、介護生活の今の私には到底無理な事だ。

兄とは格別仲が良い訳ではないが、憎みあったことは皆無だ。それは共に、利害関係も地位も財産もないからかもしれない。
比べて、昨日から報道されている兄妹のバラバラ殺人事件は陰惨だ。両親が身の丈に合った進路を選んでいれば、兄は犯罪者にならず、穏やかな人生が送れたかもしれない。
世の不幸は、失う事を恐れるあまり、そうなってしまうことが多い。お金や地位。何故に、自分や家族を不幸にしてまで、それらにしがみつくのか理解出来ない。

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