前途多難なのに気持ちは平穏無事。2007年3月10日
平穏な毎日が続く。すぐに生活の危機が訪れると言うのに、少しも心配していない。
仕事は、来月までに結果の出る大きなプレゼンに参加している。その仕事が決まれば暫くは安泰だが、決まらなかった時の代案はまだ考えていない。とりあえず、仕事が決まる事を前提に仕事用のラフ描きをしている。ラフはそれ以外にも使えるので無駄にはならない。
傍らのテレビで、アメリカの絵本作家ターシャのことを写している。今回は自然描写ではなく家族の人間像模様である。時折登場するコーギー犬はとても可愛いが、他は興味がわかない内容なのでテレビは止めた。
放送の中でターシャはいつも傍らにスケッチブックを置いて、絶えずスケッチをしていると話していた。絵描きにはそのタイプが多いが、私は滅多な事ではスケッチはせず、思いついたら直ぐに本番に入る。理由は、スケッチを繰り返すと技巧的になって絵がつまらなくなるからである。
気持ちが平穏なのは、昔の付き合いと殆ど疎遠になったからだと思う。気持ちがささくれる原因の最大なものは厭な人間関係である。昔の人間関係は母の介護に明け暮れているうちに向こうから遠ざかってしまった。しかし、若い人は厭な人とも好きな人とも大らかに付き合って、大騒ぎしながら生きて行くのが良いと思っている。
明日の保証がないのに、のんびりと生活出来るようになったのは年のせいである。ご飯を美味しく食べられて、何の不自由もなく散歩出来ることは無上の喜びである。
そんなことが思い浮かんだのは春の所為もある。
自然公園に1本だけある河津桜の幼木は開花寸前であった。母と雑談していた車椅子のOさんは「桜だって、若いのは瑞々しくて良いね。」と目を細めて見入った。それから、公園仲間のKさんが先月、医者に禁止されていたタバコと酒を止めないまま81歳で死んだと話した。「好きなように生きたんだから、それで良いか。」とOさんと母は明るく話していた。自然公園の老人達の間では、死は日常的な話題である。私の気持ちが強くなったのはこの明るさに影響されたからかもしれない。
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