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2007年4月22日 (日)

時は静かに過ぎ行く 2007年3月1日

借りて来たDVD「男はつらいよ」を母は毎日見ている。このシリーズは何度見ても好きなようだ。
今日見ていたのは17作「寅次郎夕焼け小焼け」でマドンナは太地喜和子。撮影は31年前で、その頃の母は今の私と同じ歳である。
画面の龍野の黒い屋根瓦の街並が懐かしい。私が育った頃の日南市大堂津も裏山から眺めると同じように黒い瓦屋根が続いていた。私は、終わりの黒い板壁の間の細い路地を寅さんが下りて行き、芸者役の太地喜和子に再会するシーンが好きである。路地の感じは郷里日南市大堂津の我が家の雰囲気にとても似ていた。

残念なことに太地喜和子も日本画家役の宇野重吉も、登場する役者の多くが今は死んでしまった。今は団子のとらやの雰囲気がとても懐かしい。昔の小さな商家は大抵店奥に小さな座敷があり、冬場は炬燵で年寄りがお茶を飲みながら店番をしていた。
昔岩手の陸中海岸を旅した時も、冬の海の見えるバス停の店でアンパンを買うと、店番のおばあさんからバスが来るまで時間があるからと、炬燵に招かれ、お茶を飲みながら世間話をしたことがあった。
認知症の治療方法では、そのように昔の事を思い出すことが大変効果があるらしい。母が93歳の割に頭がしっかりしているのは、昔の事をよく話すからかもしれない。

今日は自然公園から駅前へ出て買い物をした。
帰り道、床屋さんに寄って、ラッキーの絵のメール添付画像が届いたかどうか聞いたが届いていなかった。その後、ラッキーの絵を眺めた。床屋さんのお嬢さんも、理髪室へ降りて来ては眺めているそうだ。

床屋さんの前は、以前家庭医をしていた黒須さんの診療所である。黒須さんは去年の1月始めに40代で急逝されてしまった。今は空き家になっている診療所を眺めながら「ここの先生は誰だったけ。」と母に聞くと、「えーと、黒須さんだ。」と名前を答えた。これは、通る都度、母に試す惚け防止策である。

帰り道の緑道公園でキジバトが1羽、餌探ししていた。その孤高な姿はとても清々しい。彼らは死期が近づいても助けを求めない。先日の寒い朝、自然公園の草むらで逃げもせずうずくまっているキジバトがいた。しかし、翌日には野良猫にでも食べられ、僅かな羽を残して消えていた。その野良猫も、やがて同じように孤高に死んで行くのである。
「動物に比べると、人間の死に際は大騒ぎだね。」と車椅子の母に話すと、「そうだね。」と、母は小さく頷いていた。

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