家庭医の死の看取り方。2007年3月22日
母の定期検診に川向こうの生協浮間診療所へ連れて行った。待っている患者は少なく15分程で母の診察になった。血圧も体調も安定していて、診察はすぐに終わった。
すると母が往診の事を医師に尋ねていた。内容は自分の最期を我が家で看取ってもらえるかどうかだ。以前、医師の立ち会いなしで死ぬと警察の検死になり、遺体は連れて行かれると母に話した。そして、生協浮間診療所は夜間は無人になって往診は出来ないから、夜間は死なないでくれ、と言った。母はずっとそのことを気にしていたようだ。私は聞くだけ無駄と思っていたが、意外にもその対策が用意してあった。
「死期が近づきますと、特別な電話番号をご家族に教えることになっています。その番号にかければ、24時間態勢で医師が往診し御最期を看取ることになっています。」と医師は言った。
それならばと、父の時を例に聞いてみた。父の臨終の前、往診に来た家庭医はもうだめだからと私に脈の取り方を教え、「もし、お父様が夜中に亡くなりましたら、朝を待ってお知らせ下さい。」と言って帰った。
その時の経緯を話すと、「患者さんの容態を前々から医師は熟知していますので、臨終に立ち会えなくても、自然な死と判断するケースは多いですね。」と言った。それを聞いて、母はとても安堵していた。もし深夜に体調が急変し、知らない救急病院へ担ぎ込まれて死を迎えるのを、母はとても嫌がっていた。帰り道、「何だか、気持ちがスーッと軽くなった。」と母は喜んでいた。
帰り道の川風は冷たかった。診察の後、散歩をする予定だったが、薬局で薬を貰ってすぐに帰った。
午後、母の入浴介助にヘルパーが来たので、先に私がシャワーを浴びて浴室を暖めた。シャワーを浴びていると、私は息苦しくなることがある。酸欠ではなく精神的なもので、自分の死を想像すると決まって息苦しくなる。明るく暖かく心地良い部屋なのに、何故か浴室に強い孤独を感じ息苦しくなるのである。以前母が風呂場が息苦しいと訴えていたことがあった。もしかすると、私と同じだったのかもしれない。
しかし、死の苦しみについては楽観している。永遠の命を得ることは医学が進んでも不可能だが、痛みや苦しみをなくす事は今の医学でもできる。更に近未来なら心の苦しみも治せるだろう。だから、長生きすれば、死の苦しみから解放されると思っている。
そうなると、苦しみを伴う自然な生き方か、薬物や心理操作による安楽な生き方か、人々は自由に選べるようになる。その時、私は自然な生き方を選ぶ。しかし、最期が近づいたら薬物投与や心理療法をしてもらって、安楽な死に方を選ぶつもりだ。
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