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2007年4月27日 (金)

無為の時間が本当は大切である。2007年3月28日

相変わらず有名人の訃報が続く。昨日聞いた植木等の訃報は覚えているが、他は誰だったか、あまりにも多過ぎて思い出すのが難しい。
植木等は晩年、肺気腫を患っていた。街で小さなカートに酸素発生器を積み、酸素チューブで呼吸しながら歩いている人がいるが、その大半は肺気腫である。原因の多くは喫煙によるものだ。だが、まったく喫煙しない人もいて、植木等は後者だった。
「無責任男」の虚像が一人歩きしているが、彼の実像はタバコも酒もやらない修行僧みたいな人だった。それは反骨の僧であった父親の気質を受け継いでいるのかもしれない。
徐々に肺の機能を失って行く苦しさは想像を絶するが、彼は病気を宿命として受け入れ、淡々と死を迎えたようだ。

人の死を聞くと、自分の人生の残り時間を考えてしまう。残り10年か、20年、それとも10年以内なのか、どれも当たっている気がする。これから数年以内に母は逝くことになるが、順当なら、その次に兄、姉、そして自分が逝くのだろう。

人生が残り少なくなると、大切に時間を使いたくなる。しかし、無駄無く時間を使うのは難しく、何もせず、ぼんやり時間を浪費している事が多い。その原因は、エネルギー値の高い低いではない。その無為の時間が本当は大切であるからのようだ。

今日も、自然公園のベンチでぼんやり風の音を聞いていた。
「風の音は良いね。」と呟くと、車椅子の母は「ゴトゴトと車が回っているように聞こえる。」と言った。私は「違うよ。ブルブルと気持ちの良い音だ。」と答えて、聞き耳をたてた。暑くも寒くもない明るい日射しと目に優しい新緑。遠く、木立の間に満開の桜が見えた。それは実に心地良い時間だった。
思い出に残るのは、どれもそのような無為の時間だ。
たとえば旅先で海を見ている時。登山して頂上で休んでいる時。どれも無為の時間であった。

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