映画「東京物語」考 2007年3月2日
今日、母が見ていたのは小津安二郎監督、笠智衆主演の昭和28年制作の「東京物語」である。
その年に私は小学2年になった。その年に朝鮮動乱が終わり、日本は戦争特需で好景気であった。金属類も暴騰し、日本中に廃品回収業者が乱立して郷里の小さな港町にも荷馬車を引いた業者が頻繁にやって来た。業者が来ると、私たちは、銅、真鍮、鉛等の非鉄金属を集めては小遣い銭稼ぎに熱中した。港町は船の艤装用の金属製品が多く、古い青銅製のスクリューを持ち出して大金を稼ぐ漁師の子もいた。
金属材料の高騰は今に似ているが、半鐘やお寺の屋根を盗むような荒っぽい事件は少なかった。戦後間もないのに、今よりもモラルは保たれていたような気がする。
「東京物語」の出だしは尾道で始まる。空襲は受けていないので古い建物が多く、とても懐かしい。尾道は大林宣彦監督の出身地で「転校生」の舞台にもなっている。
東京の場面は荒川沿いである。医師をしている息子の家を訪ねるのだが、当時は国民皆保険ではなく、今の医師程豊かではない。息子の診療所は普通の民家で、患者は玄関の引き戸を開き、履物を脱いで隣室に設けられた診察室で診察を受けていた。
診察室の視力検査表、簡易ベットと空の点滴用のガラス瓶等が懐かしい。当時の町の診療所は内科だけではなく、眼科も、外科も兼ねていた。点滴用のガラス瓶は洗浄液を入れゴム管の先から目や傷口等を洗浄する為のものだ。
医師が豊かになるのは、その5年後の国民皆保険が成立してからである。
余談だが、40年近く前、十條に住んでいた頃、近所に医師が開業した。当時は立派な診療所で開業するのが普通だったが、その人は敢えて自宅の一室を改造して、昔風に質素に開業した。いつも清潔に洗い清められた玄関先に医師の人柄が見えて、私は好感を持っていたが、患者は集まらず、1年程で廃院して勤務医に転職したようだ。
「東京物語」は今までに4,5回は見た。
何時見ても感じるのは、描かれた老人問題のテーマが少しも色褪せていない事だ。子供たちの家庭と老親の間に生じた隔たりは、見ていて寂しくなる。家族を無意味とは思わないが、盤石と思い込まない事が必要なのかもしれない。
これで借りていたDVDは全部見終えたので明日に返却する。
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