夕暮れの散歩。2007年3月3日
夕食後に散歩に出た。散歩のコースは短く、御諏訪神社の坂を上り、桜並木を抜けて旧赤羽保健所辺りから引き返す、せいぜい2キロ程の距離だ。
今は散歩は午前中にしているが、以前は夕暮れから夜にかけてしていた。今の住まいに引っ越して来る前の旧居は保健所近くの高台にあったので、桜並木を抜ける時、ふいに旧宅へ帰る錯覚がした。
旧宅の頃は夕暮れに帰宅すると、テレビを見ながら編み物をしていた母が「お帰り。」と元気な声をかけてくれた。
若い頃の母は父の仕事の失敗の後始末ばかりしなくてはならず、幸せではなかった。しかし、私が面倒を見るようになってからは、母は終日大好きな手芸に熱中していて、いつも今が一番幸せだと話していた。
母は山のように買い込んだ毛糸で絨毯から手袋まで編んでいた。他に人形作り、父が死んだ後は木彫りの仏像作りと、手当り次第に熱中した。そして、ガンから生還してからはそれらにビーズ細工が加わった。
去年の3月に赤羽駅高架下の手芸材料の店が閉店した。母はそれに合わせるように集中力が途切れビーズ細工を止めた。それからは、母は何も作らなくなった。
私の母親に対するイメージは、編み物をしている姿である。だから、今の老いた母とはイメージが少しずれる。しかし、散歩での自然の植物や動物たちとのふれ合いは以前はなかったことで、それらへの熱中が手芸と入れ替わったのかもしれない。
そんなことを思いながら、暗い桜並木を引き返し帰宅すると、母はベットに寝てテレビを見ていた。「ただいま。」と声をかけると、昔と変わらずに「お帰り。」と元気な返事が返って来た。
今日の自然公園で、常連だったIさん夫妻の事を聞いた。
去年の秋、ご主人が高額負担の老人施設に入り、ようやく好きな事に熱中できると奥さんは喜んでいたが、身が軽くなった途端、気力が萎えて元気をなくしたようだ。
介護は一見ストレスに見えるが、本当は介護する人の気力が支えられていたりする。
やがて私も、母が逝けば身軽になる。しかし、心していないと気力を失い病気に陥りかねない。介護はしている最中だけでなく、その後が更に大変である。
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