南蔵院のしだれ桜と置き忘れた母の杖。2007年4月2日
今年も自然公園から中山道沿いにある南蔵院へ母を花見に連れて行った。途中、赤羽西の街角に去年も会った同じネコがいた。白とキジの斑の可愛いドラ猫である。「こんにちわ。」と母が声をかけると「ニャー」と返事をした。その愛想の良さも去年と同じであった。
南蔵院の前に、隣接した神社に詣でた。神社境内では去年と同じように地元の老人グループが輪投げをして遊んでいた。
曇って薄寒い日だったが、南蔵院は近所の幼稚園生達が来ていて賑わっていた。去年と同じように茶席で抹茶を頂いた。
帰りは桐ヶ丘都営団地を抜けるコースを選び、母に主要な桜を全部見せた。何となく、今年の桜は母の見納めになりそうな気がしたからだ。
☆写真日記にそのコース11枚掲載。
帰宅すると、母の杖を自然公園の管理棟のトイレに忘れたことに気付いた。直ぐに電話を入れると、事務所に保管してあった。昼食後、再度出かけて、受け取って来た。
4月3日
玄関を出ると冷たい雨。眼下の新河岸川遊歩道のユキヤナギとレンギョウが鮮やかである。川面には雨で散った桜の花びらが帯状に流れ美しい。花びらの帯には上流川越の桜も交ざっていることだろう。
車椅子の母は前のめりになって、眠っているように見えた。
声をかけると「気持ち良くて、眠くなった。」と顔を上げた。母は毛布と全身を覆う雨具で、暖かく気持ちが良いようだ。暖かく座り心地の良い車椅子で、散歩しながらの花見は私から見ても羨ましい。しかし、桜の花びらに覆われた地面は、靴が滑る。昨日の内に、南蔵院へ花見へ行ったのは正しかった。
去年の春までは桜を見ると、来年の春、母に花見をさせられるだろうか、と暗く考えていたが今は違う。今年も花見が出来て良かったと、ポジティブに無事を感謝している。
母に限らず、来年の花見が保証されている者など誰一人いない。先行きが不透明だから、人は幸運グッズや神様に平穏無事を願うのだろう。ポジティブになったのは、去年の11月に母が死にかけてからだ。母の胃潰瘍は、図らずも、母が逝く事への覚悟をさせてくれ、死は暗く寂しいものではないと思うようになった。どうやら、心の中で暗く絡み合っていた糸が、すっきりと整ってしまったようだ。
自然公園のトイレを母に使わせていると、管理事務所の人が煎餅のお礼を言いに来た。ささやかな煎餅であったが、自然公園で働くシルバー人材からの派遣の方は律儀な人が多い。煎餅は昨日、母が忘れた杖を管理事務所に受け取りに行った時、お礼に渡した。杖は私手作りの粗末な品だが、軽さ長さ形状が使い易く、外出先で忘れたりすると母は大騒ぎする。それで、長距離の花見行で疲れていたが、昼食後、再度受け取りに出かけた。
杖は、予備が数本ある。家の中では、炭素繊維製の軽くて長さ調節が簡単な登山用を使っている。買った頃は4万程したが、今は安くなっているだろう。
母が逝ったら、若い頃熱中していた登山を始めるので、その時、その杖を使おうと思っている。
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