逝ってしまったものたち。2007年4月22日
今日はお隣のネコのモモちゃんの一周忌。
散歩から帰ってから直ぐに線香を上げに行くと、モモちゃんの遺骨は花の奥に小さな白い包みに包まれていた。月日が経つのは早いものだ。その日は時折雨が落ちていた。曇り空を見上げながら「逝ったんだね。」と車椅子の母と話したことを昨日のことのように思い出す。
飼い主のYさん夫妻とモモちゃんの思い出話をした。
帰りがけ、お昼にとお寿司とビールを貰った。母は好物の穴子を食べながら「モモちゃん有り難う。」と手を合わせていた。
母の知り合いは生きている人より死んだ人が多くなった。だから、最近母が話すのは死んだ人やペット達のことばかりだ。
先日は母の姪から葉書が来ていた。姪と言っても70代で有料老人施設に早々と入って、のんびり暮らしている。姪の母親は母の姉で、10年以上昔に死んだ。その直後に母の次兄長兄が相次いで死んで、生き残りは母だけになった。
姪から葉書が来てから、母は母の兄姉の話をすることが増えた。
今日も、散歩の帰り、私にとっては伯父である母の次兄のことを話していた。伯父は戦後の混乱期、進駐軍相手に大儲けしてちょっとした財産を作った人だ。
その伯父も戦時中の生活は大変だった。伯父は父が日田の山中で国策工事に携わっている時、ボラを手みやげに訪ねて来た。父は甘やかされて育ち人格的に問題があった。当時、豊かな物資に恵まれていた父は「ボラなんか臭くて食べる気がしない。」と伯父にひどい事を言った。傍らで聞いていた母は激怒して、当時貴重品だった砂糖や米を、伯父が抱えられるだけ持たせて帰した。
そんな訳で、父と伯父の仲は悪かったが、妹である母に対してはとても優しかった。終戦後、時折我が家に、貴重品のハーシーのチョコレートや、米軍使用のDDTや、タバコのラッキーストライク等があった。それらは伯父から送られた品だった。母はタバコは吸わないので、ラッキーストライクは父が喜んで吸っていた。父は忘れやすい性格で、自分がした昔の仕打ちはすっかり忘れていたようだ。
私も小さい頃、何度か母に連れられて伯父を訪ねている。そのとき貰ったアメリカのビスケットの豊潤な味を今も懐かしく思い出す。
戦後、裕福になった伯父だが、子育てには大失敗した。伯父は子供によって、財産も数軒あった家作も次々と失った。伯父は、総ての財産を失う寸前、母に20万円を送って来た。母はいらないと言ったが、どうせ子供がどぶに捨てるように使ってしまう金だから、と母に金を受け取るように頼んだ。そして、財産を失った伯父は北九州市の老人ホームに入った。
それから毎年、母と兄は老人ホームーに伯父を訪ねた。伯父はまだ財産があるうちに母に沢山お金をあげれば良かったと悔いていたようだ。
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