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2007年4月30日 (月)

深夜の車椅子。2007年4月23日

夕食後、散歩に出た。外は朝から曇り空で風が冷たい。薄暗いエレベーターホールでエレベーターを待つ間、黄昏の地上の風景を眺めた。この静けさの中にいると、人生が透けて見える。
家路を急ぐ勤め人の間を縫って新河岸川河畔へ出た。遊歩道は閑散としていて、川面を眺めながら一人で歩くのは心地良い。母が逝った後は、そのような散歩に変わるのだろうと、歩きながらしみじみと思った。

昨夜はT君に呼び出されて池袋へ行った。用事がなくても、内向きの生活になりがちの私を気遣って、彼は定期的に呼び出してくれる。彼は夫人の母親と同居している。母と違い彼女は大変食欲があり風邪一つ引かない。この分では100歳まで生きるだろうとT君は話していた。彼の実母は九州の高額老人ホームに入っている。母の一つ上だが、こちらも100歳まで行きそうなくらい元気である。
喫茶店で10時過ぎまで、病気や老後の事から芸術論まで雑談した。
今私は新しいコンセプトで絵を描いていることを熱く話した。作品は今までの積み重ねの延長線上にあるが形式はモダンアートに近い。帰りがけ、「これを頭金にして、今話していた絵を描いてくれないか。」と彼はお金の入った封筒を渡した。彼はいつも思いがけなく仕事をくれる。今までそれで、幾度助けられたか分からない。帰りの埼京線の中で、このところ重苦しく頭上にあった不安が晴れて行くのを感じた。

板橋駅で、大きなベット式の車椅子が乗り込んで来た。押している若者はボランティアのようで車椅子に馴れていない。乗り込む時、前車輪がホームと電車の間に落ちたが、直ぐに他の乗客と一緒に抱え上げた。乗っているのは40歳程の日に焼けた屈強な男性だった。車椅子の車体には呼吸補助装置らしきものが設置してあり、おそらく頸椎損傷等で、突然障害者になったのだろう。

車椅子は私と同じ北赤羽駅で下車した。この駅はバリアフリーになっていない。どうやって降りるのかと見守っていたら、若者がエスカレーター下から駅員二人を連れて来た。そして、動いているエスカレーターに抱えて乗せ、皆で支えて降りて行った。男性の頭は下になって逆さまである。JRは凄い事をするものだ。

駅から夜道に去って行く車椅子の男性に「お休みなさい。」と声をかけると、男性は明るく挨拶を返した。重症でも若者である。母と違い元気だな、と感心した。

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