晴れのち驟雨。2007年4月26日
東京北社会保険病院下の公園の芝生が美しい。貼付けた芝生ではなく、山の斜面に草の種を吹き付けたもので、このところの雨で芽生え、ビロードのように生え揃った。母がそれに見とれている間、私は階段を上り、設置されている器具で腕立てと懸垂をする。先日、少しだけ若い頃の筋力へ戻る気配を感じたが、それから努力しても停滞したままだ。そこら辺りが年齢の限界なのだろう。
車椅子押しも以前のような馬力が無い。無理をせず緑道公園半ばの石の腰かけで一休みしてお茶を飲む。石は火照った体に冷たくて心地良い。
見上げると、公園の新緑は一段と深みを増した。44年前上京した時、東京の新緑の美しさに目を見張った。その感動は今も毎年訪れる。郷里の樹木は照葉常緑樹と杉松ばかりで、落葉樹は少なかった。だから、春の訪れは新緑よりレンゲや菜の花で感じていた。
今は母の体調が一番安定している時期で、これから初夏辺りまではのんびり出来る。
今日も母は自然公園の石垣を眺めてトカゲたちを探した。トカゲは早くから稼ぎに出かけているようでいなかったが、帰りがけ、石垣の下を逃げるゲジゲジを追いかけている雌に出会った。これから沢山餌を食べて卵を産むのだろう。初夏の頃になると、青く宝石のように輝く子供トカゲたちに会うことができる。
ケアマネージャーから携帯に電話が入ったので、帰りは駅近くの薬局へ回った。5月の契約書へのサインの為である。それから貸しビデオのツタヤに寄って、先週土曜深夜に録画するのを忘れた「ディスパレードな妻たち-2」を探したが全て貸し出し中だった。その後、宝くじ売り場でスクラッチを買ったが全部外れ。このところ金運からは見放されているようだ。
久しぶりの好天で、暖かい。昨夜、洗濯して夜干ししていたタオルケットは朝の光で完全に乾いていた。朝食前に取り込み、再度、シーツを洗って干しておいた。帰宅すると、そのシーツも乾いていたので昼食後に取り込み、三度目の洗濯をした。
3時前、午睡を取っていると窓が光って雷鳴が轟いた。外を見ると激しい夕立が過ぎて行く。眺めているとすぐに雨脚は弱まり、川向こうの低層の公団住宅の屋上が光っていた。この荒々しい変化は人生を眺めているようで心を打つ。
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