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2007年4月28日 (土)

気持ちの限界点。2007年4月7日

NHKの紹介番組に百一歳のおばあさんが出ていた。28本の歯が全部揃い、梅干しの種も割れるし、食欲も若者並みにあり、足腰もしっかりしていて惚けもない。見ていて、この人は永久に死なないのではと思えた。
しかし、医学的には寿命は125歳が限界で、それ以上は遺伝子操作をしないと無理である。先のおばあさんにも死は必然で、限界点を越えると急速に食欲が減退し、明朗な頭も混濁して行き、短期間で静かに死ぬ。

私は最近、母の限界点がいつなのか気になる。
今朝、母はいつも喜んで食べていたアイスクリームを口にしなかった。明日は食べてくれると思うが、1週間後か1ヶ月後、再び食べなくなる。そして、食べないのが日常になって、私も気にしなくなる。それは母と暮らしていて学んだ老いの過程である。

夕暮れ、母は疲れたと言って無口になった。先週までは、大好きな動物番組に可愛い犬ネコが出て来ると、嬉しそうに私を呼んでいた。しかし今夜は、テレビも付けず無口に母は横になっていた。

死についての私の考えと、母の考えは違うかもしれない。
死が辛いのは、我々壮健な者たちの考えで、老いの限界を過ぎると、死を心地良いものと捉えるようになる。
そして、限界に先立ち、それらが混在する期間がある。今、母はその混在の期間なのかもしれない。最近の日々の中で、死を恐れている母と、死を受け入れている母、二つを感じることが増えた。

今朝の散歩の途中、桜並木の公園で知人に会った。
知人は自然公園近くに住み、毎日のように園内を散歩している。見た目は元体育教師といったかくしゃくとした風貌で、年齢は78歳である。
「どうして、こちらまで。」と聞くと、御諏訪神社近くの友人を見舞っての帰りと答えた。その友人は腎不全で透析が始まり、今は近い東京北社会保険病院での治療を望んでいるが空きがない。それで高額なタクシー料金を払って遠方へ通っている。と言った話を聞いた。
それから、知人と自然公園まで話しながら歩いた。
「私は母親を亡くしましたが、年を取っても、いなくなると寂しいものです。お母さんは、どうぞお元気でいて下さい。」知人はふいに母に言った。自然公園の老人の多くが同じ事を話す。この寂しさは年には関係ないようだ。

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