渋谷-オリンピック公園-原宿夕景。2007年4月9日
午後、渋谷へ出かけ、ウエマツで絵の具を補充した。
その後、東急ハンズへ向かったが、街の雰囲気が変わってしまい、どの通りにあったのか分からない。昔は頻繁に通っていたが、池袋に東急ハンズが出来てからは殆ど行かなくなった。通りを幾つか辿って行くと、見覚えのある交番が目に入った。そこで、場所を聞こうと道を渡り始めると、右手坂上に東急ハンズの看板が見え記憶が蘇った。
ハンズでオブジェに使うステンレス丸棒のバネ材を買った。それから、オリンピック競技場を抜けて原宿へ向かうコースを辿った。NHK近くで、ドラックでハイになった若者グループが嬌声を上げて歩いて行く。道一杯に広がって、通行人に眼を飛ばす傍若無人さが腹立たしいが、関わりは持ちたくない。目が合わないように一気に追い抜いた。
夕暮れの屋内プール脇の広い石畳の通路には誰もいない。40年前、お洒落なデートコースで、通路脇の石垣にアベックが鈴なりだったのが嘘のようだ。
凹凸だらけの歩きにくいバリアフリー思想皆無の、時代遅れな石畳は昔のままで、躓かないように歩いた。広い敷地で出会ったのは、ドイツ人若者の二人連れだけだった。低いドイツ語の会話とヨーロッパ的な雰囲気が、夕暮れの荒漠とした風景に妙にマッチしていた。
すぐに変化して行く東京の中で、40年間も風景が変わらない場所は珍しい。石畳脇の石垣に上って、夕暮れの原宿の街並を眺めると、山手線土手上にケヤキがすっくと立っていた。風が更に冷たくなった。上着のポケットに手を入れると小さいものが指先に触れた。取り出すと椎の実だった。前にその上着を着たのは去年の秋、母が東京北社会保険病院に入院していた時だ。椎の実は、その時、病院の庭で拾った。今、その椎の実を拾った辺りは一面スミレが咲いている。
椎の実を眼下の芝生に投げようとして思い止まった。芽生えてもすぐに抜かれてしまうだろう。明治神宮の境内なら無事に育つのだが、通りかかった可愛い女の子達に目を奪われている内に、境内は素通りしてしまった。だから、その椎の実は今も机の上にある。
原宿の竹下通りは相変わらず若者で賑わっていた。入り口近くに開店した登山道具店ICI石井をのぞいて、すぐに帰った。
6時に帰宅すると、母は用意しておいた夕食を済ませベットに寝ていた。いつも、外出から帰った時、母に何事もないとホッとする。
先日、大きな仕事を落してしまったことは痛いが、悩んではいない。悩む時間があったら作品を作れば良い。以前は割り切れずに、グズグズ悩んで時間を無駄にしていた。
年を重ねて分かったことは、反省や後悔はしてはならない、と言うことだ。メチャクチャな理屈に聞こえるが、年を重ねると、さほど間違った事はしない。それでも失敗したとすれば、それなりに理由があってのことだ。だから敢えて反省する必要はない。
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