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2007年4月 4日 (水)

昭和30年代は魅力に溢れていた。2006年12月2日

母は少しずつ元気を取り戻している。
それに反し、私は疲れがどっと出て来た。昨夜は何もする気になれず、寝転んで映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を見ていた。昭和30年代の風景は私たちの世代には懐かしくて切ない。見終わってからも色々な思い出が蘇り重いものが残った。

あの時代は、日本にとっては高度成長の基礎が出来た大切な時代だ。その頃、私は上京して芸大受験に失敗し、その挫折から必死に這い上がろうとしていた。
本当は若い頃は思い出したくはないが、間違いなく、時代は魅力に溢れていた。働く意欲さえあれば仕事は得られ、まして技術のある職人なら絶対に食いっぱぐれなかった。
だから街にホームレスは皆無で、生活保護世帯も極めて少数だった。サラ金はなく、庶民は質屋を利用していた。質屋なら返せなくても質草を流せば済むことで、取り立ての心配はなかった。

あれから40年、驚く程豊かになったのに、その実感がない。
映画が終わった後、他の番組に変えると現代風景が写った。私には見終えた映画の世界が現実で、本当の現実は架空の世界に思えた。

先月まで、夫と別居している上の姉が職探しをしていた。
しかし、年齢制限で門前払いを食ってしまうと嘆いていた。これ程に、老人に勤労意欲のある国は世界でも稀であるのに、社会は職を与えようとしない。ただ、勤労人口の減少ばかりに警鐘を鳴らしている。私にはその矛盾だらけの労働システムの意味がどうしても分からない。

先日、その姉は苦労の末仕事を見つけた。病院の賄いの仕事である。
母の見舞いに東京北社会保険病院へ来た時、設備の豪華さに驚いていた。新しい職場は、母がいた4人部屋程の広さに8人の患者を詰め込んでいると言う。姉は病院の廊下を歩きながら「今度の病院なら、廊下にもベットを並べるね。」と話していた。

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