古民家のお化け。07年5月13日
朝から日射しが弱く、涼しくて助かる。
自然公園の椎の下でいつものように休むと母は涼しすぎると言う。すぐに場所を変え、古民家へ向かった。途中、アシ池に人が集まっていた。カルガモのヒナが15羽も羽化したようだ。去年は成鳥になる前に、総て野良猫やカラスに食べられてしまった。これから見物の老人達は、ヒナが心配で落ち着かないことだろう。
古民家の座敷で横になった。日曜だが人出は少なく静かである。
5分程寝入った頃、「お邪魔します。」の子供の声で目覚めた。縁側に10歳程の男の子が立っている。「どおぞ、お上がり下さい。」と答えると、少年は好奇心一杯に若い父親と座敷に上がって来た。
男の子が薄暗い板の間を怖そうに覗いているので、
「お化けがいるから、そこの板戸は開けない方が良いよ。」と声をかけた。
「お化けはいないでしょ。もしかすると、びっくり箱みたいに誰かが、人形を仕掛けているのでしょ。」と男の子は半心半疑である。
「さーあ、どうかな。昼間にお化けはいないと思うけど、試しに、板戸の奥の真っ暗な穴を覗いてみな。」と言うと、男の子は怖そうに父親を振り返った。父親は面白がって、板戸をガタガタと開ける振りをした。すると、男の子は「キャー」と逃げ出した。
一部始終を見ていた母が更に悪のりした。
「本当はね、おじさんがお化けなんだよ。」
男の子は「本当なの。」と私を怖そうに見た。私たちは黙って、笑いを押し殺しながら外へ出た。古民家の土間から、男の子が父親とお化けのことを話している声が聞こえた。男の子には刺激的な日曜日になったようだ。
帰り道、「マーが子供の頃、世の中はお化けだらけだったね。」と、母は半世紀以上昔の事を楽しそうに話していた。
その中で思い出すのはカッパである。田圃の代かきが終わる今頃、山から降りて来たカッパたちが、田圃で一晩中ゲロゲロと騒いでいた。本当はカエルの鳴き声だったが、私たちはカッパの声だと、固く信じていた。
我が家の脇に山から田圃へ続く路地があった。誰かが、その路地がカッパの通り道だと話し聞かせた。そう聞くと、確かに深夜にザワザワ何かが歩いて行くような物音が聞こえる。それ以来、私はカッパが怖くて何度も夜中に目が覚めるようになった。心配した父は、カッバのお面を買って来て、守ってくれるからと部屋の柱に飾った。私はそれで安眠出来るようになった。
カッパのお守りは小学校5年生まで飾ってあった。しかしその後、宮崎市へ引っ越したので、お面がどうなったかは分からない。今も、緑色の顔や、シュロの毛で出来た髪や、赤い口をはっきりと覚えている。
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