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2007年5月30日 (水)

二十四の瞳。07年5月30日

深夜、尿意を催し3時に目覚めた。用を済ませた後、直ぐに寝入って7時に目覚めた。総計約6時間は睡眠を取ったことになる。最近、4時間睡眠が続いていたので、十分に寝た気分がして爽快だ。それにしても、最近、十分に熟睡したことがない。昔は登山から疲れて帰った夜等、トイレにも行かず半日爆睡することがあった。あの心地良さは、今は夢のようである。

朝は青空が見えたが、昼頃から雨が強くなるとの予報。母の散歩は急いで済ませ、お昼前に帰った。住まいの通路から大宮方面を見ると巨大な雨脚が見えた。雨雲は猛スピードで近づいて来て、車椅子を片付けている内に、手摺を雨粒が叩き始めた。

午後は借りていたDVD「二十四の瞳」を母に見せた。昭和29年木下恵介監督、壺井栄の原作、主役は高峰秀子。大石先生の夫役が天本英世である。天本英世は今も長身の奇怪な老人として、時折目にする。
映画が作られた頃は、私は小学3年生。背景の小豆島の海辺の風景は、私の育った漁師町にどことなく似ている。母も同じ印象で、映画を見ながらしきりに懐かしいと呟いていた。

海辺の道を先導が鐘を寂しく打ちながら進む葬列のシーンがあった。先導の後ろには幟を立てた者、造花を持つ近親者、そして棺桶が続いた。
それは郷里大堂津の葬列によく似ていた。郷里の葬列では、先導は鐘でなくジャンを叩きながら進んだ。ジャンとは子供たちが勝手に付けた名でシンバルの一種である。先導の後ろには枡を持った人が続き、町の角々で立ち止まっては五色の色紙と色紙テープを貼付けた5円玉と10円玉を撒いた。子供たちはお金を目指して駆け寄っていたが、お金を拾っても、どこか後ろめたさを感じた。潮風に白く晒された家並みの角々で、キラキラと舞う色紙。それは葬列の寂しさを際立たせていたように記憶している。今思うと、華やかな色紙は死者を極楽へ導く蓮の花びらを模したものだっのかもしれない。
映画は不思議なものだ。50年以上昔の風景や人々が、今もそこに在るように映し出す。

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