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2007年5月31日 (木)

赤い服が恥ずかしかった時代。07年5月31日

朝、エレベーターに乗る時、若い男性がドアを開けておいてくれた。
1階で降りてから「今の人、女の人なの。」と母が聞いた。長髪に体にピッタリの黒のクールネックで、母は女性と思っていたようだ。男性だと言うと「あら、お嬢さん有り難う、って言わなくて良かった。」と、母は笑った。

緑道公園の墓地脇にさしかかると、母は昨夜珍しく父の夢を見たと話した。父は潜水具を身につけて、真昼の道を歩いていたようだ。それを、どのように夢判断したら良いのか分からないが、明日が父の命日なので、母は夢に見たのだろう。

自然公園の満開のウツギが散り始め、白い花弁が歩道を覆っていた。遊びに来ていた保育園児たちが地面の花びらを「お米だ、お米だ。」と囃し立てながら駆けて行った。歩道の曲がり角にさしかかると、一人の男の子がバタンと転んだ。大した事はないが、男の子は転んだまま大泣きしている。通りかかった老人が「男の子だろ。自分で起き上がりなさい。」と声をかけたが、彼は助けを待って大泣きしている。後ろから追いついた保母さんが助け起こしたが、男の子の大泣きは止まらなかった。
「うちの子に、あんなに大泣きはいなかったね。」と母が言った。確かに、私は大泣きも長泣きもした記憶がない。それは土地柄の所為もある。南九州は男らしさを厳しく言う土地で、泣いていると、皆に「女、女、」と馬鹿にされた。だから、男の子たちは泣きたくても必死に我慢していた。
男の子は赤いものを身につけていても、「女だ。」と軽蔑された。私はレンガ色のセーターを持っていたが、それが赤なのか茶色なのか、いつも悩んでいた。馬鹿馬鹿しいことだが、そんなことで、私の色感は研ぎすまされたようだ。

宮崎市に引っ越した昭和30年半ば辺りから、男女差への世間の風潮が変わり始めた。それは、カラー写真が一般化するのと一致している。その頃、カラー写真を撮ることになると、男も女も赤い服やマフラー等を探し出して身につけた。フイルムの感度が悪く、何とか写るのは赤ぐらいだったからだ。
上京してからは更に自由で、衣服は赤やピンクを好んで買った。子供の頃の「男らしく」のトラウマが逆に働いていたのかもしれない。

散歩帰り、生協に寄ると米国産サクランボが並んでいたので、父の供物に買った。私は毎年、父の命日は忘れないが、母が命日を思い出したのは珍しい。多分、父は母の夢の中に出て来て、思い出させたのだろう。

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