何気ない会話。07年6月12日
29度を超すと予報していたので、散歩は暑くならないうちに早出した。
緑道公園を行くと、久しぶりにコーギーの小豆ちゃんと会った。小豆ちゃんは嬉しそうに駆け寄って来て、私と母に代わりばんこにお愛想する。彼女は尻尾付きのコーギーである。撫でていると、パタパタ振る尻尾の毛がサラサラと腕に当たって気持良い。
別れても、母の笑顔は暫く消えなかった。ペット達との出会いは、母をいつも元気にさせてくれる。
自然公園のカルガモはヒナ3羽を独り立ち寸前まで育て上げた。今日も、親子は田植えの済んだ田圃で草取りに励んでいた。
しかし、先日ヒナ7羽を孵したもう一組のカルガモ親子は、1昨夜母ガモがやられ、残されたヒナたちは昨夜の内に全滅してしまった。夜間、不用意に地上を移動中に野良猫達に補食されてしまったようだ。そのことを母に話すと悲しむので、池の傍は立ち止まらずに通り過ぎた。
先週、その自然公園で、自然保護活動のボランティアをされているNさんと会った。Nさんは母親を介護されていたが、先月亡くされている。お悔やみを言うと、Nさんは「ごめんなさい。」と言葉につまり、辛そうに顔を伏せた。遺族は亡くなった当座より、周囲が忘れ始めた頃に寂しさが増すようだ。
日が長くなり、午後7時なのに外は明るい。
夕食後、ベットへ行く母の後ろを、転ばないようについて行った。ソロソロと歩く母の後ろ姿は老いて小さくなった。ベットに腰かけて寝る準備を始めた母の向こうの窓外に、仄赤く夕日に照された公団住宅が見える。「静かだね。」と言うと、母は外を見ながら「静かだね。」と答えた。老いていても母がいれば、そのような会話がある。しかし、逝ってしまへば、一人で呟く他ない。ふいに、母親を亡くしたNさんのことを想った。彼女には支えてくれる家族がいるが、それでも喪失感は埋まらないのだろう。
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