梅雨入り。虚構が現実に見える時。07年6月15日
14日
母は体調が悪く、自然公園行きは中止した。原因は病気ではなく、前夜、一睡も出来なかったからだ。以前は眠れなくても、母はまったく気にしなかったが、近頃は疲れて足元がふらつくようになった。しかし、外出を控えると不眠症を助長させるので、いつものように外へ連れ出した。
午後に梅雨入りになると予報していた。暗い曇り空の下、車椅子の母は無口だった。緑道公園へ着く頃、母の疲労は更にひどく、「帰りたい。」と訴えた。それで、持参した強壮ドリンク剤を飲ませた。
引っ返す途中、東京北社会保険病院下の公園で休んだ。これからどうしようかと考えていると、「少し元気になった。」と母が言った。どうやら、ドリンク剤が効いてきたようだ。
--自然公園で出会うおばあさん達に、疲れに直ぐ効く薬はないか、とよく聞かれる。私は強壮ドリンク剤を薦めるが、抵抗感があるようで納得する人はいない。---
母が元気を取り戻したので、帰りは新河岸川方面へ遠回りして、写真を撮りながら帰った。
☆新河岸川風景は、左サイド写真日記に6枚掲載した。
15日
母はぐっすり寝て、今朝は元気になっていた。
早朝、テレビに雪の富士が写っていた。急いで玄関を開けると、テレビ画面と同じように見事な富士が見えたので写真を撮った。写真は写真日記に掲載。
日が昇るにつれ、更に雲が晴れて好天になった。散歩中も乾いた風が心地良く、羊雲が、まるで秋の空のように見えた。
昼食後、母はDVDの「男はつらいよ 寅次郎の休日」1990年43作を観ていた。今回の舞台は大分県日田市。映画には旧市街の豆田が出ていた。
日田は私の出生地で、昭和20年1月16日に日田市豆田の病院で生まれた。その頃、父は土木技官として日田市山中の女畑(おなごはた)で、国策事業の灌漑工事を指揮していた。1月16日は母の祖父の命日で、前日、法事の準備に臨月の母は日田市中へ下りていた。そのついでにと、母が病院を訪ねると生まれそうだからと、そのまま入院させられてしまった。だから、私の誕生日と祖父の命日は同じである。
その夏に日本は敗れ、一家は豊富な食料を求めて日南市大堂津に引っ越した。しかし、父方の祖母は日田に残り、3年後死んだ。3歳の私はその葬儀に日田を訪ねている。季節は真冬で、二階の窓から舞い落ちる雪を珍しそうに眺めていた記憶が明瞭に残っている。その次に訪ねたのは42歳の時、博多の菩提寺での父の法事の帰りである。
映画に旧市街豆田の風景が出ると、母は私が生まれた病院裏に川があったことを懐かしそうに思い出していた。私が生後4,5ヶ月頃、病院を訪ねての帰り、裏の川に姉が足を浸していて、足の指で小魚を捕まえた、と母は楽しそうに話した。多分、姉は指の間に潜り込んだメダカか小ブナを捕まえたのだろう。
「男はつらいよ」は初回が1969年、そして、1996年の渥美清の死去まで30年間続いた。このシリーズを見ていると、一人の一生を眺めている気分になる。渥美清は今日の映画の6年後に死去して、寅さんシリーズは終了する。映画の中の寅さんは疲れがにじみ老いを感じた。この映画の頃から喜劇の部分が次第に薄れ、哀愁が深くなって行った。
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