« 懐かしいアーチ式石造りの乙姫橋。7年6月18日 | トップページ | 頭を麻痺させる程の熱い午後の光の中で、樹下美術館の写真を見た。07年6月20日 »

2007年6月19日 (火)

母は私を連れて映画館に逃避していた。07年6月19日

今日も朝から晴れて暑い。梅雨入り宣言は早まったのでは、と気象庁に抗議が殺到しているようだ。
日中の暑さを避けて、8時に家を出て自然公園には9時前に着いた。
「おはよう。頑張るね。」入り口前の広場にたむろしていた老人たちが一斉に声をかけた。今日も老人達の顔ぶれは変わらない。皆と変わりなく会えるのは互いに有り難いことだ。

毎日母は、公園歩道のウツギの前から柳の前まで50メートル程歩く。途中のグミの下にアメリカセンダングサが茂っていて、今はトゲトゲの実を付けている。トゲトゲはズボンが触れると針山のように刺さって厄介である。グミの下で、母は慎重にトゲが付かないように避けて歩いた。無事に過ぎた母は柳に気付かずにそのまま歩き続けた。「大丈夫なの。」と聞くと、大丈夫だと言う。母は更に10メートル程進んで、やっと歩きすぎた事に気付いた。「余分に歩けたのだから、良いじゃない。」と言ったが、母は釈然としない様子だ。本当に疲れていれば、柳の手前で歩くの止めるはずで、体調は良いようだ。トゲを付けないように気を使った刺激が、体調に良く影響したのかもしれない。

管理棟の受付で、母はいつものように挨拶したが、担当の老人は居眠りをしていて気付かなかった。「これじゃ、来園者のカウントが出来ないじゃない。」と、母は小声で文句を言った。悪口が出るのも元気な証拠だ。
椎の木陰は今日も涼しい風が吹き抜けていた。母は冷たいお茶を飲みがら、昨日の「男はつらいよ」に出ていた日南市油津の乙姫橋のことを話していた。今日の母の元気は、映画で昔の風景を見て、刺激になったからのようだ。
乙姫橋は堀川運河の深い石積みの岸壁に架かっている。
堀川運河は江戸時代、飫肥藩が飫肥杉の積み出しの為に油津港まで掘削したものだ。運河沿いにはドバトが沢山住み着いていた。私たちが暮らす隣町の大堂津にドバトはいなかったので、私はとても珍しかった。ある寒い雨の日、乙姫橋の欄干から運河の上を飛ぶドバトの玉虫色に輝く青灰色の羽色を、飽かず眺めていたことを、何故かふいに思い出した。

当時、父の建設業は、朝鮮動乱による資材高騰のあおりを受けて倒産してしまった。母は借金取りの対応が厭で、私を連れては油津の映画館へ逃避していた。母が小学校へ迎えに来ると、私は喜び勇んで早引きした。それは母には辛い思い出だが、私には楽しい思い出である。後年、それらの体験が絵を描くのに、どれほど役立ったか分からない。
映画全盛の時代だったが、平日の昼間の映画館は空いていた。映画の上映中、トイレに立つと、鎧戸から日の光が縞模様に通路を照らしていた。冷房はない時代で、涼は鎧戸の自然空調だけだった。トイレの行き帰り、静かな通路に英語やフランス語の台詞が響いていたのを、懐かしく思い出す。

|

« 懐かしいアーチ式石造りの乙姫橋。7年6月18日 | トップページ | 頭を麻痺させる程の熱い午後の光の中で、樹下美術館の写真を見た。07年6月20日 »