ホウセンカで爪を染める。07年7月11日
小雨の中、いつもより1時間遅れで自然公園へ母を連れて行った。
母を歩かせていると知人が声をかけた。
「今日は遅いですね」
「ええ、夜中おしっこで目が覚めたら、朝まで寝付けなくて、寝過ごしてしまいました。年取ると厭ですね。一度で良いから朝までぐっすり寝てみたいです」
そう答えると、彼も同じだと頷いていた。
小用の後、寝付けなかったのは仕事の先行きを考えていたからだ。考えても不安は解消しそうになく、母の催眠薬レンドルミンを半錠飲んだ。すぐに効いて寝付いたが、寝過ごしてしまった。
知人に母はホウセンカで鮮やかなオレンジ色に染めた小指を見せていた。
しかし、ホウセンカで染める子供の遊びを知っている人は少ない。知人は小指にヨーチンを塗っていると思ったようだ。この遊びは、朝鮮半島からホウセンカと一緒に北九州に伝わったものである。
先日、桐ヶ丘を抜けての帰り道、御諏訪神社近くの道ばたにホウセンカが咲いていた。母が欲しがるので、深紅の花弁を10枚程摘んだ。
花弁は少量の明礬を加えて指先で潰してねって、小指に盛って乾燥防止にラップで包んで絆創膏で止めて置いた。翌朝、母の小指は濃いオレンジ色に染まっていた。この色は堅牢で、爪が伸び切ってしまうまで色は残る。昔は朝顔の葉で包んでおいたが、寝ている間に取れてしまうのでラップに変えた。オレンジに染まる濃さは花の色とは関係ないようだ。試しにピンクの花弁で染めたことがあるが、同じようにオレンジ色に染まった。
母94歳と小次郎くん7歳。
母は今の季節になると必ずホウセンカで小指を染める。その遊びを教えたのは母が敬愛していた祖父甚平である。普通、そのような女の子の遊びは母親が教えるものだが、母の母親千代は炊事裁縫女の仕事はまったく出来ない人だった。だから母は料理を祖父甚平に教わり、手芸は祖母の夫である父親健太郎に教わった。
女性の仕事が好きな明治男と言うと相当な軟弱と思われそうだが、残された写真を見るとまったく逆だ。甚平は若い頃、西南の役で西郷軍に従い、鹿児島の城山まで行った程に血の気が多い屈強な人だった。
そして、手芸を教えた父親健太郎は芝居小屋の道具方をしていて、書割を描いたり小道具を作るのが好きだった。しかし、ただの道具方ではなかった。子供の頃、健太郎の餅つき風景の写真があったが、法被を着た屈強な若者二人の餅つきの前で、着流しの健太郎が三味線を持ち、両脇に芸者を侍らせていた。そして背後には、配下らしき、そろいの法被を着た厳つい男達が並んでいた。これは、どう見ても、堅気の記念写真ではなかった。母の思い出にも、しばしば北九州の名だたる侠客が登場する。どうやら、健太郎はその世界で名を売っていた人のようだ。
母は子供への悪影響を恐れて、その写真を早い時期に処分してしまった。しかし私は、再現して描ける程に鮮明に記憶している。
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