東京の集合住宅での盆の入り。07年7月14日
昨日13日、墓地近くの散歩道で盆提灯を下げて行くおばあさんに会った。昔は夕暮れ近くになると、家族総出で墓参りをする一行に出会っていたが、今は珍しい。
「あら、お盆の入りだったのね。忘れていた。」おばあさんとすれ違った後、母が言った。
昔なら、仏壇にマコモのゴザを敷き、供物と茄子キュウリの馬を飾るので、母が忘れることはない。しかし今は、普段より供物が多いだけで、母は気付かなかったようだ。帰宅してからすぐに、盆提灯を出して組み立てた。
今の集合住宅に引っ越す前の一軒家の頃は、13日の夕暮れには必ず迎え火を焚いた。今も焚きたい気持ちはあるが、近所迷惑なのでしない。東京では麻ガラを焚くが、日南市大堂津の子供時代は、迎え火に松の根を割ったものを焚いていた。麻ガラはあっけなく燃え切ってしまうが、松の根は松ヤニが多くて火持が良く、甘味のある香りがした。迎え火は、子供が大っぴらに許されている唯一の焚き火で、私たちは石で囲って、長く燃え続ける工夫をした。それから、迎え火を目印に飛んで来る精霊を見逃すまいと夜空を眺めた。しかし、夜空に普段との違いは何もない。すぐに子供たちは精霊を見つけるのに飽きて、花火遊びを始めた。
町内の新盆の家の軒下には沢山の白い盆提灯が下がっていた。その縁側では老人が太鼓を叩き、独特の節回しの「くどき」を唄い、盆踊りが始まった。若い踊り手は女は男に、男は女に、当時流行の仮装をして舞った。対して、明治生まれのおばあさん達は実に優雅に腰を低く艶っぽく舞っていた。今はあのように優雅な踊り手はいなくなっただろう。
新盆ではない家の縁側には色絵を施された盆提灯が飾られていた。その形は様々で、灯籠の形をした提灯が多かった。盆踊りの太鼓に提灯。軒の低い家々の間に点々と続く迎え火。その死者を迎える行事は安らかで幻想的で、昨日のことのように想い出される。
母の寝室に飾った盆提灯は、31年前、祖母が死んだ後、新宿駅ビルで買ったものだ。先程、母の部屋へ行くと、絹張り提灯が優しく辺りを照らしていた。この灯りを眺めると本当に心安らぐ。母が逝った後も、お盆の行事は止めない。殊に、盆提灯は必ず灯して、母の魂を迎えようと思っている。
夕暮れのニュースで、台風4号が通過した郷里近くの油津港の様子を写していた。明日はまだ、東京への影響は少ない。もし、雨だけなら母の車椅子散歩は出かけるつもりだ。
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