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2007年7月18日 (水)

昔は、路上でままごとをしていた。07年7月18日

古民家の前庭は久しぶりに乾いていたので、車椅子を乗り入れ、母に輪投げをさせた。それから古民家の土間に母を置いて、座敷に上がり寝転んだ。

煤けた天井板を見上げていると安らぐ。
小学生の頃、風邪で年に1度は休んだ。普通、熱は1日で引いたが、2日目も用心の為に寝かされていた。元気なのに寝ているのは退屈で、天井の染み模様にお化けや飛行機等を連想して過ごした。
熱を出すと母は決まって3色パンを買ってくれた。中身のクリームも、ジャムも、チョコレートも、サッカリン甘味のまがい物だったが、甘味が貴重だった昭和20年代の子供たちには御馳走だった。
風邪が重いと、ミカンやモモの缶詰を食べさせてくれた。その所為で、果物の缶詰を食べると、今も熱っぽい気怠さが蘇って厭な気分になる。

散歩の帰り道、オシロイバナが咲いていた。黒い丸薬のような実を摘んで潰すと、白粉のような中身が指先に付いた。擦るとサラサラと白く伸びる。昔の女の子はままごと遊びで、頬に付けて遊んでいた。
最近、ままごと遊びを見かけない。上京した昭和30年代の東京では、路上にゴザを敷いて子供たちがままごとをしているのをよく見かけた。
「おとうさん、今夜は寄り道せずに、真っすぐお帰り下さいね。」と、母親役の5,6歳の女の子が大人そっくりに喋るのを、田舎出の私は驚きながら見ていた。そんな話を母にすると、昭和初期、東京暮らしをしていた頃のことを話した。
銭湯で髪を洗っていると、「こちらの桶、お借りしてよろしいですか。」と女性の声がする。「どうぞ。」と答えて傍らを見ると、4,5歳の女の子がにこやかにおじぎをしている。てっきり大人だと思っていたので、驚いてしまった、と言う話だ。

昭和30年代の東京の路地はのんびりしていて、昼休み時はその辺りの職工のお兄ちゃんがキャッチボールをしていた。
小学校が引けると、路地は子供たちで溢れ、野球の三角ベース、女の子のゴム跳び、石蹴り、相撲、かくれんぼ、と運動場に変わった。時折、自動車は通ったが、小型でスピードもノロノロで、交通事故は殆どなかった。

下町には至る所、小さな作業所があって、道路まで機械類をはみ出させて仕事をしていた。私は旋盤や溶接の仕事を見るのが好きで、眺めている内に手元を覚えてしまった。後年、溶接の資格を取ったが、その頃の記憶がずいぶん役立った。
隣の板橋区は大小の印刷所が多かった。小さな印刷所の前を通ると溶けた鉛の排ガスの臭いがして、奥を覗くと活字棚の前で活字工たちが手を真っ黒にして活字を拾っているのか見えた。今は、鉛の活字を使う活版印刷は手工芸的な詩集等に使われるだけで、殆どはパソコン出力の写植文字に代わっている。
以前の東京は、どこを歩いても身近に物作りを見る事ができたのに、今は殆ど消えて駐車場かマンションに変わってしまった。

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