夏休み、よしず張りで食べたかき氷。07年7月25日
ニフティのメンテナンスで昨日からブログの記入が出来なかった。
今、午後3時の室温30度、湿度64%。ベランダから玄関へ爽やかな風が吹き抜けて心地良い。
昨日に続き真夏日で、散歩コースにはミンミンゼミが鳴いていた。白昼にセミの声を聞くと、一気に記憶が遡り、子供時代の夏休みを思い出す。今と違い、親に勉強勉強とうるさく言われない時代で、私たちは毎日、遊びほうけていた。
子供たちは遊び飽きると甘いもののことばかり考えた。
一番の夏の憧れはかき氷だが、小遣いでは無理だった。私は時折、兄か姉に連れられて浜辺のよしず張りの店で食べさせてもらった。ガラスの器に雪のように盛られた氷に赤いイチゴシロップをかけたものを、すぐに曲がってしまうペラペラのアルミのスプーンで食べた。よしず張りの軒下では、無数の色付きアルミ板のネジリ飾りが海風に揺れ、キラキラ光っていた。イチゴシロップの香りと白い砂浜、老境に入った今も、それらを夢のように思い出す。
本物の砂糖を使った三ツ矢サイダーも憧れだった。これは高価で子供が飲ませてもらうのは稀だった。時たま、来客があると、母に言いつかって冷えたサイダーを買って来た。品の良い客だと、ビンに半分程残してくれるので、それを駄賃代わりに貰うのを楽しみにしていた。
子供たちが飲んでいたのはラムネである。冷水を満たした桶に沈んだ濃緑色の分厚いビンを拾い上げ、ビー玉の栓を店主が木製の器具で落して開けてくれた。しかし、その器具が置いてある店は稀で、大抵は店主のおばあさんが、鼻水を拭いた太い指で、ビー玉をぎゅっと押し込んで落し、「ほら、飲め」と渡した。子供たちは厭がっていたが、飲み始めれば、きたないことはすぐに忘れた。ビンを斜めに立て、ビー玉で口を塞がないように全部を飲み切るのはかなりコツが必要だった。
ラムネは1本10円で三ツ矢サイダーの4分の1くらいだった。もっとも、ラムネの甘味はサッカリンやズルチン等の人工甘味料で、飲んだ後に苦みが口中に残った。ズルチンは発がん性があり肝障害を起こし、子供の死亡事故あったりして、昭和30年代には使用禁止になっていた。
その頃は、すき焼きの甘味もサッカリンでつけていた。父親が鍋に白い錠剤を放り込むのを少しがっかりしながら眺めていたことを覚えている。やはり、すき焼きは砂糖でないと美味くなかったが、昭和20年代は砂糖は大変高価で、滅多な事では使われなかった。
30年代になると粉オレンジジュースが出現した。これは人工着色料と芳香剤とクエン酸等を砂糖に加えたもので全くの偽物である。子供たちはその粉を少しずつ時間をかけて嘗めて楽しんだ。他に炭酸ソーダ等を加えた粉サイダーもあった。こちらは水に溶いて飲んでいたが、ソーダの塩味がして美味くはなかった。
子供時代の日南市大堂津の思い出である。その小さな漁師町での夏休みは、暑かった記憶はまったくない。毎日が楽しくて、自然も光も溢れ、夢のように美しかった。
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