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2007年8月10日 (金)

猛暑の中喪服を着て弔問。07年8月10日

母を川向こうの診療所へ定期診療に連れて行った。母の喉を診てもらうと、痰が絡む感じは実際は痰ではなく喉の粘膜が腫れている所為らしい。それで、粘膜を修復する消炎酵素剤のダーゼンが処方に加わった。
10時半に会計を済ませ、診療所を出ると猛烈な熱気が体を包んだ。この猛暑が続けば、体を壊す老人が増えそうだ。
浮間橋を渡り赤羽北に戻ると熱気は和らいだ。更に、御諏訪神社脇の坂を上り、桜並木に入ると風が涼しい。元工場地帯の殺風景な浮間地区と樹木の多い赤羽台の気温は歴然と違うようだ。

薬局で薬が出たのは11時で、時間が無いので東京北社会保険病院の周りを一周して帰宅した。
昼食後、消炎酵素剤のダーゼンを母に飲ませた。この薬は効果がはっきりしないとの理由で海外では使われていない。しかし、服用後数時間で母は喉がすっきりしたと喜んでいた。白人には効かない薬でも、日本人にはよく効くことがあるのだろう。医学の世界では、西欧人を基準に判断するのは禁物である。

午後、仕事の準備をしていると、長く連絡がなかった知人から電話があった。昔、世話になった方の訃報である。母が倒れた頃、故人との年賀状のやり取りは止めたので、その後の様子は知らなかった。遺族に電話を入れると、母の事で忙殺されている私へ知らせるのは気の毒だから伏せていた、と謝っていた。
通夜は日曜に予定されているが、取り急ぎ別れをしておきたいので、夕食後、母をベットにつかせて弔問に出た。夏用喪服を着たが猛烈な暑さである。
埼京線で池袋、地下鉄有楽町線で飯田橋へ、そこで大江戸線に乗り換え東新宿で下車した。地下鉄大江戸線のトンネル径は通常よりかなり小さい。しかし、乗り換え通路等、広く見せるデザイン上の工夫が各所に見られ斬新である。殊に、飯田橋の乗り換え通路は蛍光灯が縦位置に並べられ、格子窓から外光が入っているような錯覚を覚え心地良かった。

その街へ来たのは35年ぶりだった。町家の殆どがビルに建て変わって、道も広くなり、昔の面影は無かった。遺族に通り一遍の挨拶をし、冷房を強く効かせた部屋に安置された故人に別れを告げ、すぐに辞した。
帰りの大江戸線は空いていた。座席に腰かけると、向かいの窓に自分が写っていた。若い頃はよく笑っていたが、いつの間にか人を寄せ付けない厳しい顔になっていた。ふいに、先程会った遺族たちが、誰も悲しんでなかった事を思い出した。享年96歳、故人は明治最後に北海道で生まれ、悔いなく生きた強い人だが、乾いた家族関係だったのかもしれない。

8時に帰宅した。郵便受けに、サンフランシスコから絵葉書が届いていた。メールと違い、書き文字には新鮮さを感じた。
母の様子を見に行くと熟睡していて、帰宅したことに気付かない。暑さ避けに使っているアイスノンを取り替えるつもりだったが止めにした。

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