カナカナを初めて聞いた夏。07年8月27日
傍らのテレビからカナカナの声が聞こえた。画面を見ると九州中部の鄙びた温泉地の清流が写っている。鈴を振るようなこの声は心に澄み渡る。
カナカナの声は今年は7月の涼しい夕暮れに1度だけ聞いた。微かに聞こえた声をよく聞こうと玄関を開くと、眼下新河岸川河岸の木立で、か細く鳴いていた。
カナカナは涼しい地方の蝉で、暑い郷里の日南では聞くことはできなかった。
最初に聞いたのは宮崎市に引っ越してから、中学の担任に誘われて10人程の生徒たちと宮崎市と日南市の間にある家一郷(かいちごう)へ行った時だ。
日南市と宮崎市を結ぶバス路線は二つある。青島、鬼の洗濯岩、鵜戸神宮と観光コースの日南海岸線と山地を最短距離で結ぶ山仮屋(やまかりや)線である。私たちは山仮屋線の方を小1時間南下して、何もない山中で下車し、杉林を下りて家一郷の小さな集落へ到着した。
家一郷はその一帯の飫肥杉伐採の拠点で、加江田森林鉄道の起点でもある。集落には真新しい分教場があり、引率の教師は以前そこで教えていたと話した。
その分教場に宿泊し、昼間は家一郷を流れる加江田川上流で遊んだ。谷に張り出した巨木の枝に下がる葛でターザンごっこをしたり、冷たい渓流で泳いだりして遊び、夕食は沢の川原で飯ごう炊爨をした。
朝と夕暮れ、その沢筋にカナカナの声が響いていた。
清らかな澄み切った声を初めて聞いた時、それが蝉の声とは知らなかった。後でヒグラシと知り、以来夏になるとカナカナの声を聞きに加江田森林鉄道沿いの加江田渓谷へ幾度も遊びに行った。渓谷の水は冷たく5,6分泳ぐと体が冷える。温かい岩の上に大の字に横になり青空を見上げ、カナカナの声をぼんやり聞いていると、満ち足りた気持ちになった。その頃、加江田渓谷は日向ラインと呼ばれる観光地だったが、閑散としていて人に出会うことはめったになかった。
宿泊した家一郷の真新しい分教場には畳部屋の図書室があった。そこで私は初めてリーダー・ダイジェストを目にした。鄙びた集落とアメリカの翻訳本の落差が今も強く印象に残っている。その分教場は直ぐに本校に統合されてなくなり、加江田森林鉄道も廃止になって観光遊歩道に変わった。家一郷の集落はその後の林業不振に耐えきれず、住人は去って今は僅かな観光用施設があるだけらしい。
その頃、受験勉強に身を入れずに遊びほうけていた私を、困った顔で眺めていた母はまだ40代で元気一杯だった。その母は今、背中が丸く小さくなってソロソロと歩いている。その老いた母を見ていると、あのカナカナを聞いた夏の日は、夢のように去ってしまったと思ってしまう。
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