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2007年8月 7日 (火)

虚空蔵菩薩は広大な宇宙の知恵の菩薩。07年8月7日

5日、日曜の夕暮れ。
風が強くなった。外へ出て眺めると南の方に雨足が見えた。残念だが夕立は素通りである。雷を期待していた母にそう告げると、がっかりしていた。

届いた献体の白菊会の書類を壁に押しピンで留め、仕事机に貼ってあった母の古い会員証を新しいのに変えた。それは寂しい準備だが、母の死は避けては通れない。
母が逝った時は直ぐにカードを見て白菊会に電話を入れる。白菊会からは契約葬儀社へ連絡が行き、遺体を迎えに来る。遺体との別れはその時が最後である。1〜3年後の火葬には立ち会う事になっているが、火葬前の遺体を見る事はできない。それは肉親の面影を残していないので、遺族が大変なショックを受けるからである。

献体は新鮮な程研究価値が高いので、白菊会は直ぐの献体を希望している。しかし、事情によっては葬儀後の献体を選ぶ事は出来る。私は父の時のように母の遺髪を残してすぐに献体し、九州で内輪だけの密葬をしようと思っている。
献体の書類を読んでいると、開け放った窓から盆踊りの囃子が聞こえた。川向こうの北赤羽駅前の広場で盆踊りをしている。1年が過ぎるのは早く、去年の盆踊りが昨日のことのように思えた。


6日、月曜午後。
殆ど徹夜で描き上げた日本生命倫理学会学会誌の表紙絵を納品した。
事務局は文京区の本郷通りの浄心寺にある。日本生命倫理学会は医学者、社会学者、医療関係者などが生命倫理について考える真面目な学会である。私は5年前から表紙を担当している。事務局は一昨年までは上智大構内にあったが、去年からその浄心寺のお堂に移転した。

午後3時、地下鉄南北線東大前で下車して、本郷通りを少し引き返した。通りは昔の下町の雰囲気が残っていて、古い印刷所やお寺が多い。300メートル程行くと、電話で聞いていた目標の赤い衣の巨大な布袋様が見えた。
本郷通りに面した事務局の引き戸に手をかけたが鍵がかかっている。呼び鈴らしきものもなく、困っていると直ぐに内から引き戸が開いた。
「暑いのに、お届けしていただき申し訳ありません。」
笑顔で迎えた太田さんの背後に、極彩色の虚空蔵菩薩大きな座像が目に飛び込んだ。去年まで、絵は赤羽まで太田さんに取りに来てもらっていたが、浄心寺の新しい事務局の様子を聞き興味がわき、その時から今年は届けることにしていた。
太田さんの話では、先日、聖路加国際病院の日野原重明氏が来訪し、虚空蔵菩薩に大変感心して長居されたそうだ。--虚空蔵菩薩とは、宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩という意味。

虚空蔵菩薩は私にはなじみ深い。私の郷里大堂津の南に砂浜で繋がった小島があり、虚空蔵菩薩が祭られた古いお堂があった。その虚空蔵島にはビロウやアコウなどの亜熱樹の生い茂り、小学生の私はスケッチ大会や遠足に何度も出かけた。だから、事務局の仏様が懐かしく、お賽銭を上げて合掌した。
絵を納品の後、若い修行僧に本堂を案内してもらった。暑い日だが、本堂には涼しい風が吹き抜けて、蝉時雨が心地良かった。

帰りは本郷通りをのんびり歩いた。古い東京の町の所為か、小股の切れ上がった女性が多く、すれ違う都度、何度も振り返ってしまった。帰りの南北線は空いていて、赤羽岩淵まで冷房の効いた座席で疲れが取れた。
急ぎの納品はこれで終わりである。注文絵が1点残っているが、すでに画料は前払いで貰っているので、少し意欲が失せている。

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