« ビールを飲みながら、去って行く夏に別れを告げた。07年8月16日 | トップページ | 檜枝岐の墓。07年8月18日 »

2007年8月17日 (金)

夏の終わりに1年の終わりを感じる。07年8月17日

鱗雲が出ていた。正式名は巻積雲でこの雲が出ると雨になる。そろそろ雨が欲しい所だったので助かる。予報では雨に伴い北方の冷気が吹き込み、気温も29度へ下がってくれそうだ。

緑道公園の緑陰で母を休ませ、冷たいお茶を飲ませた。目の前の満開の百日紅は、次々と咲き続け上品な香りを一帯に漂わせている。母は誤嚥が多いので、右を向いてお茶を飲むように言ったが、母は左を向いて飲み、むせてしまった。個人差があるが、人の食道は右を向くとスムースな形になり誤嚥が減るとテレビで話していた。しかし母は、アウトローの祖母のいい加減な教育のおかげで、子供の頃に右左を逆に覚えてしまった。母は小学校へ入ってから修正したが、年老いた今、幼児期の習性が顔を出して、右と言うと左を向いてしまう。今更強く言っても効果がないので、好きにさせている。

今日は昨日より高い37.5度の猛暑だが、なぜか涼しく感じた。車椅子を押していても、一度も汗が目に入る事がない。自然公園の遊水池周りの深い木立にさしかかると、湧き水に冷やされた涼風が吹き過ぎた。辛いことがあっても、この自然の優しさに触れると、いつも生きて行く勇気が蘇る。

椎の木の木陰でいつもより長く休んだ。夏の終わりに1年の終わりを感じる。子供の頃、夏休みが終わりに近づくと残りの休みを数えて名残惜しくて寂しくなった。あの記憶は今も影響しているのかもしれない。今日も常連の老人達は連日の猛暑に参って、殆ど出て来なかった。秋を迎えても、その半数は回復せず、二度と会うことはない。それも、夏の終わりの一抹の寂しさである。

最近、母の葬儀の事を考えている。
スムースに終わりを迎えても、後の処理は簡単ではない。私は祖母と父の葬儀を執り行ったが、その頃は兄姉は若く、物心共に協力を得られた。しかし、今は皆老いてしまい、殆どを自分一人でする他ない。
そんなことを考えていて、同業の知人の葬儀を思い出した。彼が死んだ後、友人達が遺作展を開き、それを葬儀とした。湾岸にあった中央区所有のスペースを借りた会場には、葬儀らしき祭壇も、遺影も一切無く、ただ、参加者は酒を飲みながら遺作を鑑賞し、思い出を話した。今振り返っても、この葬儀は心のこもった別れだった。

母は膨大な数の手芸作品を作ったが、殆どは人にプレゼントしてしまい手元に残っていない。だから、そのような遺作展は難しい。しかし、私が描いた思い出の絵と僅かに残った手芸作品を組み合わせれば形になりそうだ。これから、散歩道の風景を少しずつ描いて、母の逝った後、赤羽のどこかで作品展を開けたら、と思っている。
と思っていても、九州の兄が頑張って博多の菩提寺で葬儀を執り行うだろう。それは兄たちに任せ、私はそのような形を考えている。

|

« ビールを飲みながら、去って行く夏に別れを告げた。07年8月16日 | トップページ | 檜枝岐の墓。07年8月18日 »