母は94歳になった。07年8月24日
予報に反して、今日は涼しかった。
起床すると、昨日の腰痛は軽減していた。やはり原因は一昨夜の寝冷えの所為だったのか。しかし、完全に不快感が消えている訳ではない。中学生の頃、鉄棒から落ちて尻餅をつき腰を痛めたことがある。医者に通い、1ヶ月程で完全に治ったが、その古傷が頭を出したかもしれない。これを機会に腰痛に気を付け、予防体操に励もうと思う。
今日は母の94歳の誕生日。昨日から今日へ、母は色々な人からお祝いを貰った。
お隣から「更に95歳も健やかに迎えられますように願っています。」と、花をいただいた時は、しんみりしてしまった。
私も母が元気でいてくれる事を願っている。しかし、最近、限界を感じることが多い。
先日、友人の義母が90歳で老衰で亡くなった。1月に友に会った時は、食欲も旺盛で暖房無しで過ごしても風邪一つ引かず、頑健そのものだと話していた。友は、このまま100歳まで生きると思っていたようだが、5月あたりから急に弱り始め、肺炎を起こして3週間前に亡くなった。
命は大切だが、定められた以上を望む事はできない。やがて必ずやって来る別れは淡々と受け入れる他ない。
人の世は虚しいが、今年の夏空は美しい。殊に、雲が美しいので手当り次第にデジカメに撮って保存している。空は素晴らしい。45年前上京した頃、東京の空は晴れていても、いつもどんよりスモッグで霞んでいた。しかし、今は田舎と変わらない。自然公園や緑道公園の木々の梢の上に広がる青空を見上げていると、信州辺りの自然の中を歩いているように錯覚する。この美しい自然に接していると、しっかり生きなければと、いつも励まされる。
涼しい日だが、自然公園は閑散としていた。母を歩かせた後、古民家で少し休んだ。
「いつも変わらずに、同じ方の顔を見ますとホッとします。」と、係のIさんが母に話していた。いつもいた人がいなくなるのは、とても寂しいことだ。
帰り道、母を可愛がってくれた祖父の甚平さんが亡くなった後のことを母は話した。甚平さんは母が10代の頃に亡くなった。いつも甚平さんが座っていた縁側に誰もいないのを見るのは、とても悲しかったと母は話した。その母も94歳。やがて、母は逝き、我が家も世の中も変わって行く。
そんなことを思いながら赤羽駅前へ出た。そして、ふいに20年後の赤羽の街並みを想像した。もし私が健在なら80代前半。その時代が良くなっているとは、とても思えなかった。
☆左サイドの写真日記へ8枚掲載。
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