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2007年9月10日 (月)

臨死の考察。07年9月10日

7月に、友人の夫人の母親が90歳で亡くなった。
それを友人から聞いたのは一ヶ月後の8月末だ。古い仲間内では、肉親が亡くなってもすぐに知らせないことになっている。そのように申し合わせた訳ではなく、長年の間にそうなってしまった。だから、友人宅に弔問に訪ねたことも、友人が弔問に訪ねて来たこともない。しかし後日、適当な機会を作ってお悔やみは言うことにしている。

先日、友人に電話をすると夫人が出たので、お悔やみを言った。
日頃、友人から長い介護の苦労を聞いていたので、看取るまでの大変さをねぎらった。
彼女は、実に一生懸命に母親を介護していたが、それでも悔いが沢山残っていて辛いと話した。
「完璧な介護は不可能だから、どんなに頑張っても悔いが残るのは当然だ。もし、十分に介護したから悔いが無いと言う人がいたとすれば、その人は割り切っているだけだ。」と私は話した。しかし、彼女の喪失感は大きく、すぐには納得出来ない様子だった。

その後、「90歳まで長生きしたのだから大往生だ」と言う人がいるが、とても厭だ、と言った話になった。それは私も同感で、母のことを94歳まで生きたのだから、いつ死んでもいいじゃない、と言われるととても腹が立つ。
今年の始め、知人の父親が93歳で亡くなった。その時、「長命で亡くなったのだから、目出たいくらいだ。」と知り合いに言われて厭な気がした、と知人は話していた。その知り合いの郷里では90歳以上で亡くなった時は赤飯を炊いて祝うらしい。私は肉親の死を長く引きずのは避けたいが、死者を思い悲しむのは逝く者への礼儀だと思っている。

夫人が肉親の死に立ち会うのは初めての経験だった。母親を看取ったのは病院ではなく、友人宅でである。その日往診した家庭医は、「今夜あたり危ないが、もし亡くなりそうになっても、慌てて救急車は呼ばないように。」と言い残して帰った。理由は、もし救急車が来た時に亡くなっていたら、救急隊員は警察に連絡をする規則になっていて、その後、大変面倒になるからだ。
医師から事前に聞いていたように、母親の息は苦しそうに早くなり、やがて間欠的に止まり、亡くなると次第に体温が下がって行った。それらの経緯を見て、彼女は大変に動揺し喪失感を覚えたようだ。
母親が亡くなる前の苦しそうな顔が頭から離れない、と彼女は繰り返し話した。それを聞きながら、私は父が亡くなる前、家庭医が話してくれたことを思い出した。
「お父様は、亡くなる前に苦しそうにされるかもしれません。でもそれは肉体が反応しているだけで、本人の感覚はとても静かで安らかです。」
そう聞いていたおかげで、母も私も動揺せずに父の死を受け入れることができた。

死の寸前、誰もが苦しむ。だが、生き物は死を安らかに受け入れるシステムを備えている。たとえば、ライオンに捕まった瀕死のシマウマの瞳に恍惚とした表情を見ることがある。その時シマウマの脳内には脳内麻薬のエンドルフィンが大量に分泌され、恍惚状態になっているのである。生きようとするから苦しむので、もうダメだと諦めれば、脳のシステムは苦しみから解放させるように働くのである。
マゾの方の恍惚感とか、修行僧が死ぬ程の荒行を重ねて得る多幸感とか、ジェットコースターの疑似恐怖の中で感じる楽しさとか、それらも臨死のシステムが働いているからかもしれない。エンドルフィンは、モルヒネの7倍近い薬理作用がある強力な麻薬である。

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