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2007年9月15日 (土)

郷里では住所に名前さえ有れば配達物が届く。07年9月15日

暑さがぶりかえしたが、真夏のジリジリする熱さとは違う。
夏の間は自然公園の古民家の竃の火が疎ましかったが、今日は気にならなかった。古民家に客はなく、時折、薪がはぜる音が薄暗い屋内に響いた。
「静かだね。」と、つぶやくと、「ほんとに静か。昔の台所を思い出すね。」と母は言った。

漁師町に住んでいた小学生の頃は竃か七輪で料理をしていた。水は井戸から汲んで水瓶に溜めて、木の蓋の上に竹の柄杓が置いてあった。子供はよく喉が渇く。子供たちは遊んでいて喉が渇くと、知らない家でも「水くだい。」と声をかけ、台所へ行って水を飲ませてもらっていた。
--日南地方の方言で「下さい。」を「くだい。」と言う。ちなみに、東国原知事のフレーズを「宮崎をどげんかせんといかん。」と喧伝されているが、それは他県の言い回しで、「宮崎をどんげかせんといかん。」が正しい。

今でも、その時の竹柄杓のふちのザラリとした感触や井戸水の味をよく覚えている。育ったのは浅い海に川砂が堆積した上に出来た漁師町で、井戸の水はどこも薄く塩味がした。母の話では井戸掘りをすると貝殻が出たし、時には船の錨が出る事もあった。

昔の家は暗く静かだった。家庭で昼間も電灯をつけるようになったのは、東京でも昭和45年辺りからだ。
テレビが普及する前の音源はラジオくらいで、それも昼食時と夕食時から数時間しか点けなかったので、昼間は静かだった。風邪ひきで学校を休んだ時、お昼のラジオからNHKの「ひるのいこい」や農事通信のテーマ曲が流れていたのを覚えている。その頃のラジオは飴色の木製ボックスにダイヤルと、電波の感度を示すネコの眼のような光管がついていた。夕暮れ、大人達はダイヤルをNHKに調整して「君の名は」を夢中で聞いた。そして子供たちは、新諸国物語の「紅孔雀」や「白鳥の仮面」に熱中していた。
先日、お昼時に床屋さんで頭を刈ってもらっていると、有線放送でNHKの「ひるのいこい」が流れた。昔と変わらないテーマ曲を、思いがけなく耳にして、深く心に染み入った。

昨日、その漁師町の大堂津からお菓子が送って来た。
近くの城下町飫肥のお菓子で、香ばしく焼いた最中の皮に柚子餡等を薄くはさんだ「おきよ煎餅」である。私と母が大好物なことを知っている母の昔の知り合いが送ってくれたものだ。「おきよ煎餅」の発送はかなり前だったが、住所の部屋番号が抜け、電話の局番も違っていたので、到着は3日程遅れてしまった。

送ってくれた人は80代の漁師の未亡人である。その町では住所はなくても、名前さえあれば間違いなく配達される。その大らかな土地の感覚の所為で、大切な部屋番号を入れ忘れたようだ。彼女は魚等をよく送ってくれるが、しばしば住所が抜けている。その都度、配達員の多大な努力で何とか届いているが、間違いを正すことはとっくに諦めた。

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