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2007年9月17日 (月)

寂しい敬老の日 07年9月17日

自然公園で、1週間ぶりに顔馴染みに会った。5年程前から挨拶を交わしている年配の女性だが、名前は知らない。小鳥が好きな人なので、母と私は「小鳥のおばさん」と呼んでいる。
「お久しぶりですね。貴女とお会いすると、とても嬉しいです。」と母は挨拶した。また、同じ事を言っていると思い、「少しは違う挨拶を考えなよ。」と言うと母は少しむくれた。親子のやり取りを眺めていた小鳥のおばさんは、「毎回、変わらずに言われることが、私は嬉しいですよ。」と笑いながら取りなした。
気を使ってもらうのは嬉しいが、母に頭を使えと言うことで、惚けが来るのを遅れさせる効果があるのも事実である。

散歩前、「朝の薬を飲んだかしら。」と母は聞いた。朝の薬を飲ませる為にトマトジュースに牛乳を加えたものを作った記憶があるので、「トマトジュースを持って行ったから、間違いなく飲んでいるよ。」と、言った。「そうそう、そうだったね。ありがとう。」と、母は明るく納得していた。
最近母は、よく物忘れをする。散歩をしながら、去年、胃潰瘍に起因する脱水症で死にかけて緊急入院したことを聞くと、「あら、そんなことがあったの。」と、すっかり忘れていた。母の物忘れは傾向があつて、厭なことはきれいに忘れている。しかし、ペットと出会ったことなど楽しいことはよく覚えている。

散歩帰りは桐ヶ丘団地を抜けた。朝から暑く、歩いている老人を殆ど見かけない。
通り道のバス停で、桐ヶ丘循環バスから買い物帰りの老人の一団が降りて来た。赤羽駅前のスーパーへ老人パスで出かけての帰りのだろう。敬老の日に、買い物袋を重そうに下げて散って行く老人達の後ろ姿が寂しかった。
近くに数軒のスーパーがあるが、買い物を下げて歩くのは辛いので、多くの老人達はバスを利用している。それでも、バスが頻繁に通る都市部の老人は恵まれている。知人の田舎は関東の山間部だが、バスは1日に2,3本しかなく、簡単な病院通いでも1日仕事になる。

我々の老後となると更に厳しい。貧弱な社会保障と改悪が続けられる健康保険。老朽住居に棄民され死を待つだけの老人達。それは人ごとではない。
「今の老人はまだ恵まれているけど、俺の老後は暗いよ。」と車椅子の母に話すと、「大変だね。」と明るく同情された。一緒に暗くなられても困るが、気にされないのも釈然としない。

敬老の日に、65歳以上は2744万人。彼らが団結すれば日本を変えることができる。しかし、更に改悪しようとする勢力もまた、勝ち組の老人達である。この矛盾の根は深く、簡単には解決しそうにない。

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