どのような人生にも、一瞬の至福有り。07年9月4日
最高気温は32度になったが、暑さは感じなかった。
お昼までは好天で、散歩中は止むことなく涼風が吹いていた。行きがけの東京北社会保険病院下の公園では、木陰のテーブルを囲み4人の熟年男達が朝から飲んでいた。缶チューハイ、缶ビールに僅かな肴のささやかな酒宴である。彼らは公園となりの立ち飲み酒屋の常連で、すでにアル中に近い。だが、気の合った友人達と酒に爽やかな風、この一瞬はだけは彼らは幸せそのものに見えた。
桜並木を若い母親が小さな男の子を連れて歩いていた。背中が広く開いたワンピースから日に焼けた肌に鯉の線彫りが見えた。
「この様子では、根性もお金も足りなかったようね。」線彫りに気づいた母が言った。
昔、知人に彫物師がいたが、線彫りにちゃんと墨入れするのは、激痛に加え高額の費用も要するので、線彫りだけで諦めるものが多いと話していた。
昭和32年頃の宮崎市時代、近所に老いたヤクザがいた。ヤクザと言っても三下の半端者である。彼は働きもせず、昼間から酔っぱらっては二周りは若い妻をぶん殴ってわめき散らしていた。北九州飯塚出身だと言う彼は炭坑夫相手にケチな稼ぎをしていたのだろう。銭湯でよく一緒になったが、背中一面にシワだらけの弁天様の線彫りが入っていた。近所の男達はそれを情けないと馬鹿にしていた。しかし、3人の子供たちは父親に似ず素朴で素直な良い子だった。
ある日、老ヤクザは一念発起して家を自分で改装し、外回りに青ペンキを塗って赤文字で「うどん」と書いた。だが、そのうどん屋に客が入るのを見たことはなく、じきに潰れると近所は噂した。
ある日、その家の子供たちが「お客が入った。」と興奮していた。通りがかりのよそ者が何となく入ったのだろう。子供たちは客が帰るまで、窓から嬉しそうに中を覗いていた。
客が入ったのを見たのはそれが最後で、それから間もなく一家は夜逃げしてしまった。苦労して育ったあの素朴な3人の子供たちは、今は幸せかもしれない。
自然公園は更に爽やかだった。
涼風の中、青空を見上げていると、厭なことを総て忘れてしまう。この時間があるから、辛いことにも耐えられる。車椅子を押しながら、母の介護から解放され、仕事は順調に推移し、友人達にも恵まれた豊かな生活を空想した。
しかし、現実は万事が巧く行くことはない。多分、老いや病苦に苦しむことになるだろう。だから、今の一瞬に幸せを感じられるならそれで良い。
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