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2007年10月18日 (木)

自由は楽しいけど寂しくもある。07年10月18日

シャワー介助の日で母の散歩は休み。10時半、介助が終わってから赤羽駅前へ買い物に出た。途中、顔馴染みのおばあさんに出会ったが、母の車椅子がないので私だと気づかなかった。それは犬の散歩も同じで、私も飼い主が一人で歩いていると気づかないことがある。

赤羽駅高架下のスーパーで舞茸を買った。半年前は100グラムパックが78円だったのが98円になり、今日は118円に値上げされていた。半年で5割も大幅な値上げだ。原材料から運送費まで総てが値上がりしている今は、更に多くの生活必需品が値上がりする。生活を守るには収入を増やすしか方法はなさそうだ。

このところ、好天で爽やかな日が続く。秋色の緑道公園を歩いていると世俗の厭なことを忘れてしまう。崖の灌木に絡む山ブドウが紫に熟していたので写真に撮った。山ブドウは寒くなると甘味を増す。都内なのに、この散歩コースは驚く程、野趣に富んでいる。先日は自然公園で鬼グルミを拾って帰った。まだ身に水分が多く、殻にピッチリと食い込んで取り出しにくいが、無理矢理掘り出して食べた。それは味わったことがない新鮮な味で、とても美味かった。

東京北社会保険病院下の公園へ寄り道して、木陰のベンチに腰かけ携帯のメールチェックをした。それから、梢の間を綿雲がフワフワ流れて行くのをぼんやり見上げていた。昔はそのように、いつも自由に過ごしていた。好きな時に寝て、起きて、食べて、仕事をする。お金にゆとりがあれば、突然に女の子を誘ってデイズニーランドへ行ったり、一人旅に出かけたりしていた。母が逝き一人になれば、昔の自由を取り戻せそうだが、現実はかなり違う。
介護生活になってからの外出は、母をベットに寝かせてから出かけ11時辺りに帰宅する。玄関ドアを開けると母は必ず目を覚まし、「お帰り。」と、声をかけてくれる。時には「今日は楽しかった。」と聞くこともある。私は「まーね。」と答えるだけだが、母が逝けばそんなやりとりもなくなる。自由は楽しいが、それには寂しさも伴う。

ベンチから立ち上がり、歩き始めると地面に鳩の羽が散っていた。弱ったドバトがカラスかネコにやられたのだろう。人の死の大仰さに比べ、彼らの死は風のように軽やかで、一瞬に忘れ去られてしまう。

昨夜、友人から同窓生の訃報を聞いた。彼は東京医科歯科大を出て、板橋の区役所近くの仲宿で歯科医院を開業していた。死因は肝臓ガン。経緯は聞いていないが、その多くはC型肝炎を起因とする。我々は予防注射を回し打ちされた世代で、注射針内に逆流した僅かな他人の血液によって多くのC型肝炎感染者を生んでいる。
彼とは昔、同窓会で数度話したことがある。昔は大人しく目立たない人だったが、裕福に成功してからは、声も大きく朗らかなになっていた。彼と小学校からの同窓の友は、葬儀に参列すると話していたが、私は参列しない。その代わり夜のベランダへ出て、故人の住まい方向へ合掌した。

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