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2007年10月 3日 (水)

老い様々、酔生夢死も良いものだ。07年10月3日

朝食中、母が嘔吐しそうだと訴えたので、すぐにナウゼリンを1錠飲ませた。この薬は吐き気止めの特効薬で、飲ませるとすぐに効く。母は少し休んだ後、残った食事を済ませた。
最近、咳やゲツプの喉への刺激で母は吐き気を催す。食事前からの不快感に引き続き起こる吐き気は問題だが、このような、刺激に反応した吐き気はあまり心配はいらない。

昨夜は描いていた絵を頑張って仕上げた。
今、雲シリーズで描いている。先日、納品した「雲おやじ」f-158が好評だったのがきっかけだ。このようなシンプルな絵は、仕上げて行く過程では物足りなくて、かなりの我慢が必要だ。しかし、仕上がると清々しくて爽快になる。

12時半に描き終えて横になったが、頭が冴えて寝付けない。母の睡眠薬を飲むのは我慢して、自然な眠りを待った。テレビを点けると、NHK深夜放送でビルマ戦線の生き残りのドキュメンタリーをやっていた。

部隊は九州久留米の第18師団菊兵団。当時、最強の精鋭部隊と言われていたが、慣れないジャングルでの消耗戦で8割が戦死した。生き残った老人達はすでに80歳半ばから90歳前半。老人達が語るのは耳を覆いたくなるような凄惨な話だった。

マラリアを始めとする熱帯性の病原菌。毒蛇が地を這い、山蛭が雨のように降りそそぐジャングルには地元民もあまり近づかない。その中で、圧倒的物量の米英中連合軍に包囲されながら、菊兵団は孤立無援の絶望的な戦いを続けた。母の弟、私の叔父も第18師団に属し、そのビルマ戦線で戦死した。私はその叔父の最後の様子を知りたくて、老人達の話に聞き入った。

その一人は、敗走の時、木にもたれて目前に置いた家族写真を凝視している満身創痍の兵士を見捨てたことを、辛そうに話していた。
92歳の老兵は、敗退して駐留していたビルマ南部で敗戦を聞いた時、心の底からホッとした、と話した。凄惨な前線を経験した兵士の多くは敗戦に安堵したが、前線の経験のない兵士たちは敗戦を悔しがっていた、と言う。説得力のある言葉だと思った。叔父は生きていればその人と同じ92歳である。

2時過ぎにやっと寝入った。その後、今朝5時半に目覚めたので散歩中はひどく眠かった。
赤羽自然観察公園の田圃では、大勢の小学生が稲刈りをしていた。子供たちが刈り取った稲束を慈しむように稲架-ハザにかけている姿がとても良かった。

古民家の竃近くに母の車椅子を置いて、私は座敷に上がり横になった。古民家は毎日のように来ているので、我が家へ戻ったように落ち着く。天井を見上げているとすぐに、5分程寝入ってしまった。

帰りは生協で買い物をした。レジに並んでいると、昼間から酔っぱらいのおじいさんが母に話しかけていた。先日彼は、生協前で自転車の置き場所がなくて困っていたので、私が手伝った。その時も酔っぱらっていたが、私が手伝ったことはよく覚えていた。歳を聞くと84歳と言う。その歳で1日中酔っぱらっていられるのだから、相当に元気な人だ。彼のように酒漬けになって、84歳まで生きられるなら酔生夢死も良いものだ、と思った。

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