« 近松門左衛門原作、昭和29年溝口健二監督「近松物語」映画考。07年10月4日 | トップページ | 日南市大堂津から母の古い知人が来訪した。07年10月7日 »

2007年10月 5日 (金)

平穏と危機を混在させながら時は流れる。07年10月5日

朝、母の定期診察に川向こうの生協浮間診療所へ連れて行った。予約は9時25分だが、15分に着くと5分待ちで診察してもらえた。
涼しくなったのが良かったようで、母は悪いなりに体調は安定している。ただ、吐き気が増えているので、ナウゼリンを処方してもらった。今飲ませているナウゼリンは、去年の胃潰瘍の時、処方してもらったものだ。有効期限を医師に聞くと問題ないと言う。この診療所の庶民感覚は助かる。

会計を待つ間、母は待合室のおばあさん達と話していた。おばあさんたちは口々に母の帽子の造花のピンクの薔薇が綺麗だと褒める。他所でも、おばあさんたちが薔薇が綺麗だと褒める。母から造花を帽子に付けてくれと頼まれた時、そんな恥ずかしいことは厭だったが、今は母が好きなようにさせている。しかし、女性たちのこの感覚はどうしても理解できない。

診療所の後、赤羽駅前へ買い物へ回った。
ようやく、まっとうな秋日和だ。久しぶりの日射しに夏の焼け付く熱さはない。明け方にやんだ雨に、地面はまだ湿っていて心地良い。途中、東京北社会保険病院下の公園でムクの実を探したが落ちていなかった。先日までは地面を覆うように落ちていて、汚れていないのを拾っては母と食べた。母も私も、羊羹のような食感の香り高いムクの実は大好きである。

立ち飲み酒屋の前を通ると、主人や立ち飲みのおじいさんたちが大きな声で母に挨拶した。八百屋の前を通ると、主人夫妻が挨拶した。赤羽駅前の商店街へ着くまで、幾人もの知らない人が母と挨拶を交わした。「継続は力」の言葉がある。5年前から殆ど毎日、決まった時間に同じコースを母の車椅子を押していると、いつの間にか心地良い人の輪が広がるようだ。

昼食後、横になって音楽を聞いた。
聞いていると、昔好きだった女達が次々と思い浮かんだ。それで、古い電話帳を探し出して開いてみた。しかし、彼女たちの名の総ては消しゴムで消してある。光を斜めにあてれば、読み取れなくもないが、思い出は浸るだけにして電話帳を閉じた。

何故、昔の恋を思い出したのか考えた。生物は死期が近づくと子孫を残そうとするが、その形を変えた心情なのか。それとも、「近松物語」の激しい恋に触発されたからなのか。いずれにせよ、幾つになっても恋は素晴らしいものだと思った。

死期はともかく、生活危機ラインへのカウントダウンは残り少ない。それはフリーの仕事の宿命で、危機が1週間後に迫ったり、半年のゆとりが出たり、安定にはいつも程遠い。さて、今回はどう乗り越えようか、このところいつも思案している。
これから出版社へ提出の原稿を書く。原稿が徒労に終わる可能性は50%。「行動すれば活路あり」を信じて前へ進む他ない。

|

« 近松門左衛門原作、昭和29年溝口健二監督「近松物語」映画考。07年10月4日 | トップページ | 日南市大堂津から母の古い知人が来訪した。07年10月7日 »