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2007年10月13日 (土)

昭和38年の環状七号線の夢。

夜更かしを修正したいが、見たい深夜番組が多くて困っている。
昨夜のタモリクラブはさいたま市の鉄道博物館でのロケで、最後まで見てしまった。この広大な施設は明日開館する。懐かしい機関車や電車の実物が展示してあり、是非見てみたい。

半世紀近く昔、毎月のように列車で北国へ旅に出かけていた。目的地は決めない気楽な旅で、ふと車窓から見た名前も知らない小さな町の夕暮れを今も思い出す。夕餉支度の煙りがたなびく町並み。家路を急ぐ仕事帰りの人たち。私は車窓から、その先に待っている暖かい家庭を想像した。「男はつらいよ」の一場面のような情景は、当時の日本には普通にあった。

寝入る前、そんなことを思い返していた所為か、昔住んでいた昭和38年の北区十条の環七を夢に見た。全線開通する前の十条を横断する環七には、まばらにしか車は走っていなかった。舗装は中央車線のみで、大気が澄んだ日には大和町交差点方向に富士が見えた。夢には、夕暮れの王子第三小学校前の環七が出て来た。その未舗装部分の広い砂利道に古い知人4,5人が佇んでいた。私は挨拶するのが面倒なので、帽子を目深に被り脇をすり抜けようとした。しかし、気づかれて呼び止められたので、二つ三つ言葉を交わし再び歩き始めた。夢は唐突にそこで終わった。

知人たちはみな故人である。朝、母の車椅子を押しながら、知人たちを懐かしく思い返した。
そんな夢を見たのは、昨日、黒川紀章の訃報を聞いたからかもしれない。興味ある人ではないが、訃報には驚いた。周辺のコメントを総合すると、彼は余命が短いと悟ってから、日本の為に尽くそうと、都知事、国会議員と立候補したようだ。彼の意識が混濁する前、「私は良くない妻でしたね。」との元女優若尾文子の言葉に「いや、好きだったよ。」と答えたやりとりも胸を打った。今になって、落選しても淡々としていた彼の態度の本当の意味がよく分かった。14日の身内だけでの密葬は、しみじみとした別れになるだろう。

赤羽自然観察公園の古民家で、係の女性が障子の破れた箇所を張替えていた。補修のすんだ段だら模様の障子の傍らで、親子連れがのんびり遊んでいる情景は心和む。
土曜の公園は、家族に連れられた車椅子の老人が多い。明日が日曜なので家族にゆとりがあるのだろう。
母は、吐き気と小さな粗相の毎日だ。しかし、私は対応にすっかり慣れてしまった。どんなに驚くような事態でも、慣れることができるなら大した事態ではない。

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