やや不幸が過剰気味な時に一番安堵感を感じる。07年11月20日
散歩途中、東京北社会保険病院下の公園で、最近、姿を見なかったクーちゃんの飼い主に会った。彼は60代後半の無口な人である。母が「クーちゃんは、」と聞くと、留守番させて、東京北社会保険病院に入院している連れ合いを訪ねるところだ、と話した。いつもは元気な人だが、少しやつれて見える。多くは聞かず「お大事に、」と挨拶して別れた。
我々の年齢辺りから病気が増え、乗り越えても乗り越えても病は押し寄せる。私も外見は元気だが、調べれば三つ四つの病は見つかる。ただ、それらの症状が出ないようにうまくコントロールしているだけだ。
自然公園への道々「世の中、まったく幸せな人はいないものね。」と母が言った。私は幸不幸が半々なのが普通だと思っている。稀に訪れる幸せ過剰な時は居心地が悪く、不幸が過剰気味だと安堵する。それを貧乏性と言うのだろう。
赤羽自然観察公園の古民家はご飯の試食会に来た小学生達でにぎやかだった。米は古民家下の田圃で収穫されたものだ。小学生たちは田植えから稲刈り、脱穀から精米と関わって来た。古民家に貼り出された予定表には、午前9時の代表者挨拶の後、古民家の竃で薪で炊いて塩むすびにし、11時半から試食、とあった。しかし、予定は早く進行して、午前10時には小学生たちは自分でにぎってラップに包んだおにぎりを大事そうに持ち歩いていた。子供たちは、あと1時間半は待ちきれない様子だ。お腹をすかせて、田圃土手のシートでのおにぎり昼食は格別な美味しさだろう。
「ついこの前、田植えをしていたのに、月日が過ぎるのは早いですね。」と、古民家の係が声をかけた。確かに、歳を取るにつれ月日が早く過ぎる。この分ではあっという間にクリスマスも正月も通り過ぎ、新たな生活の不安が押し寄せる。しかし、先回りして悩むことは無い。先の事を考えないのも、これから迎える老いに必要なことだ。
帰宅すると、小次郎ちゃんたちがお隣のYさんと待っていた。無事に抜糸が終わり元気になった挨拶である。飼い主のKさんは「片目でも、以前と同じように駆け回っているんですよ。」と嬉しそうだった。心配していた悪性腫瘍も見つからず、本当に良かった。しばらく小次郎ちゃんの相手ができて、母は嬉しそうだった。
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