« 食後2時間血糖値に糖尿病合併症は深く関わる。07年11月22日 | トップページ | 母はベットから明けの明星を眺めた。07年11月25日 »

2007年11月23日 (金)

二の酉。三ノ輪、竜泉、浅草と、レトロと近未来を旅した。07年11月23日

今日は母の介護保険調査員が午後2時に来るので、午前中に母の散歩を済ませ、調査員が帰ってから今日の二の酉へ出かけようと予定していた。しかし、母は何となく散歩へ出たくないと言う。それで急遽、午前中に酉の市へ出かけることにした。

酉の市へは、35年間一度も欠かさず出かけている。以前は、いつも仲間と大勢で出かけ、帰りに浅草辺りでにぎやかに遊んだが、母が倒れてからは、一人でお詣りして素早く帰っている。

午前中のお詣りは始めてだ。京浜東北線王子駅で下車して、都電荒川線に乗った。乗客の大半は老人で、車内は微かにナフタリンの匂いがした。老人の多くは、突然の寒気に慌ててコートを取り出したのだろう。
車窓には荒川の下町風景が続く。町工場の殆どはマンションに建て変わったが、乗客の老人たちのせいか、車窓にレトロな雰囲気を感じる。今年、75歳以上が人口の10%を越えた。都電車内は日本の行く末と、懐かしい過去の風景が混在し、タイムマシーンに乗って過去と未来を行き来しているように感じた。

終点の三ノ輪で下車し、アールデコ風の梅沢写真館のアーケードから日光街道へ出て右折し、竜泉方面へ向かった。いつもなら、そのあたりで熊手を抱えた酉の市帰りに出会うのだが、今日は時間が早く一人も出会わない。しかし、明治通り交差点を渡るとすぐに露店が並び混雑し始めた。のんびりした祭りの人並みに身を任せているのは心地良い。時折漂って来るイカ焼きの匂いに、子供の頃の祭りや運動会を思い出した。

日光街道から国際通りへ。鷲神社が近づくと更に混雑がひどくなったので、竜泉の一様記念館方面へ左折して裏通りを急ぎ、途中、飛び不動にお詣りした。このお不動様は航空関係の参詣が多く、境内には下谷七福神の恵比寿様がある。その後、再度国際通りに戻り、大雑踏の中、鷲神社にお詣りした。午前中で少ないと思っていたのに、この賑わいは先行き不安な世情を反映しているのかもしれない。

お酉さんの後は浅草の観音様へ向かった。ひさご通りから花屋敷を経て浅草寺境内への道筋は竜泉一帯より更にレトロな雰囲気がある。観音様近くの、軒の傾いた食堂のガラス戸から中を覗くと、日射しの中で老人一人が煮込みを肴に酒を飲んでいた。昔は繁盛した店かもしれないが店主も客も高齢化して、今は自然消滅を待つばかりだ。この一帯はそのような安食堂と、古靴まで扱うような古着屋が多かったが、大半は廃業してしまった。

観音様も正月並みの大混雑だった。外国人観光客が多く、外人中年女性がおみくじを連れの日本人に解説してもらっていた。凶のおみくじを結びつける桟を指差す仕草から凶が出たようだ。その後、女性は再度引いて良い札を引き当て喜んでいた。その傍らでは外人若者がおみくじの英語解説を真剣に読んでいた。宗派民族に関係なく御託宣は誰でも気になるようだ。
浅草寺のおみくじは凶が多い。母がガン手術をする前年、私は3度続けて凶を引いてしまった。以来、ここではおみくじを引かない。殊に今は、再度凶を引きそうな気配なので避けている。

仲店通りの大混雑を抜け、上野回りで帰宅した。
北赤羽駅着は12時5分。駅前のライフで母用に粒ウニの瓶詰めを買った。北赤羽に着くといつもホッとする。遊歩道で立ち止まり、新河岸川河川敷で餌探しをしているカモをしみじみと眺めた。

母は何事もなく、ベットに寝てテレビを見ていた。
熊手はすぐに仕事部屋に飾った。先日、小品が売れて一息ついているが、厳しい状況は変わらない。幸運を招き寄せるように熊手に手を合わせ、それから昼食の準備をした。

|

« 食後2時間血糖値に糖尿病合併症は深く関わる。07年11月22日 | トップページ | 母はベットから明けの明星を眺めた。07年11月25日 »