ツワブキの花と酒饅頭。07年11月6日
今日は散歩前に、介護保険の医師意見書の依頼に整形外科へ寄った。病院へ行く道で、「最近弱ったことを、先生によく話しておいてね。」と母は言った。真意は介護度を下げられないためだ。言われるまでもなく、午後になると辛そうにベットに横になっている母を、何とかしてあげたいといつも思っている。しかし、老いだけはどんな名医にも治せない。
早朝なのに病院は混んでいた。意見書に先立ち検査が必要だから金曜に再度来るように医師は言った。様々な検査をすることに意味はないが、従う他ない。
病院は10時前に出た。散歩途中、緑道公園の木陰にツワブキの花が咲いていた。黄色い花は菊に似ているが、それよりも南国的である。私はツワブキの花を見ると、郷里の大堂津小学校の遠足を思い出す。一度、遠足で漁師町の大堂津から農村部の細田の滝が平山へ行ったことがある。滝が平は私の地元で一番高い山だ。そのふもとに兄姉達が通っていた細田中学があり、滝が平山頂付近に中学の茶畑があった。茶畑にはマムシが沢山いて、毎年、生徒が噛まれると兄姉たちは私を脅した。私はマムシより、滝が平山頂から眼下に雲を眺めることに興味があった。しかし、頂上に立っても、雲は山の遥かに上で、私はがっかりした。今、地図で確かめると標高は319.8m。到底、雲に達する高さではない。その薄暗い山道に沢山のツワブキの花が咲いていたことを、不思議なくらい明瞭に覚えている。
母の車椅子を押しながらその話をすると、「子供の頃、マーは石灘の酒饅頭が好きだったね。」と唐突に言った。石灘とは近所の雑貨屋を兼ねた田舎のお菓子屋である。その女主人は菓子作りが得意で、奥の作業場で一人で芋飴や酒饅頭を作っていた。酒饅頭は酒種で小麦粉の生地を発酵させ、餡を入れた饅頭で、私はその濃厚な酒種の香りが好きだった。酒饅頭は、正月、創立記念日、と晴れがましい学校行事の都度、生徒に配られた。今思うと、サッカリン甘味のまがい物のこしあんは決して美味くはない。しかし、戦後間もない甘味が貴重な時代で、私たちは喜んで食べていた。
母の話題は酒饅頭から三色パンに移った。ジャムとクリームとあんこ入りの、表面にケシの実がかかったパンで、母は私たちが風邪で休むと隣町の油津から買って来てくれた。だから、私たちは風邪を引くのが楽しみだった。しかし、私たちは丈夫で滅多なことでは寝込まない。もっぱら病弱な兄の食べ残しを食べていた。今、そのことを母に話すと嫌がる。「好きなものを何でも買ってもらっていた繁は早死にして、お前達は元気に育ったんだから良いじゃない。」と言い返す。繁とは長兄の名で、都城の中学教師時代、42歳で早世した。
そのように、母は私が忘れていることをよく覚えている。母が逝けば、その過去を失うことになるのだろう。だから、親の死は二重に喪失感を味わうことになる。
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