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2007年11月25日 (日)

母はベットから明けの明星を眺めた。07年11月25日

夕食の30分後に、母は椅子からゆっくりと立ち上がりベットに向かう。母は食後30分は必ず椅子に腰かけている。すぐに横になると胃液が逆流して食道に炎症を起こすからだ。夕暮れになると一段と足がおぼつかないので、転ばないように私は後ろを着いて行く。寝間着に半天を羽織った母の後ろ姿に、「ばあちゃんに似てきたね。」と言うと「あら、そう。」と母は笑った。

祖母は84歳で死んだ。
祖母は私が引き取るまで九州を離れたがらず、長兄夫婦と暮らしていた。しかし、体が弱ったので東京に引き取り、私と、娘である母とで介護することにした。その時私は28歳。二人も三人も同じと考え、両親と祖母三人を引き受けることにした。当時の仕事の彫金は高収入で、一般の数倍は稼いでいたことも引き受けた大きな理由だ。

その頃、私は夜に仕事をしていて、深夜に隣室の祖母に異常があればすぐに対応した。だから、母は夜は安眠できて体を壊さずに済んだ。祖母は引き取ってから1年半後に死んだ。遺骨は母と長兄二人が久留米の菩提寺に持って行った。
母の留守中、白木の小さな祭壇に父は線香を上げながら、とても寂しそうにしていた。父は祖母が亡くなって、せいせいしていると私は思っていたので意外だった。事業に手を出しては失敗し、娘である母に頼って苦労をかけてばかりの父を祖母は心良く思わなかった。そして、父にとっても祖母は煙たい存在だった。そのような父でも、長年付き合った家族を亡くしたことは寂しかったのだろう。
その時、見送った長兄はその翌年秋に43歳で脳溢血で急死した。

あれから34年が過ぎた。祖母や父と比べはるかに長命の母は、仮に半年後に命が尽きるとしても仕方がないと覚悟している。知人にそのことを話すと、「とんでもない。顔の艶は良いし、百歳まで長生きされますよ。」と信じない。車椅子に腰かけていても、明るくハキハキと話す母を見ると誰もが元気だと錯覚する。しかし、1日の大半を弱った母を眺めながら暮らす私の思いはまったく違う。

今朝の夜明け前、小用に起きたついでに、母のベットに入れた湯たんぽの具合を見に行った。低温火傷を起さないように布団の上から押さえて、足から湯たんぽを離していると母が目を覚ました。湯たんぽの具合を聞くと「温かくて、気持ち良いよ。」と母は微笑んだ。それから母はカーテンを開けてくれと言った。部屋が冷えないように少しだけ開けると、「綺麗な星。」と黎明の空に見とれた。母の位置から見ると、東の空に星が一つ眩しいくらいに輝いている。「あれは明けの明星だよ。」と教えると、「これが明けの明星なの。始めて見た気がする。」と母はとても喜んでいた。

介護は大変だが、母の笑顔を見ると救われる。
母が逝けば、様々な気遣いから解放されると同時に、そのような母の笑顔や、思い出との繋がりを失うことになる。父が祖母の死を悲しんだのも、そのような喪失感からだろう。

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