昔は町内に一軒は八百屋があった。07年11月30日
朝から曇り空で肌寒い。9時半、川向こうの生協浮間診療所で母と一緒にインフルエンザの予防接種を受けた。私は1週間前から風邪気味で心配だったが、診療所で計ると36.5度。「鼻がグズグズしていますが、予防接種をしても大丈夫でしょうか。」と医師に聞くと「37度以下ですから大丈夫です。」と、笑い飛ばされた。費用は母は2200円。65歳以下の私は3000円。これで9割近く感染を防げ、仮に感染しても軽く済む。
ワクチンの注射器は誤用がないようにワンセットずつ容器に入れて看護婦が持ってきた。診療所の慎重な姿勢には好感が持てる。我々は子供の頃、予防接種の注射器の回し打ちで肝炎ウイルスに感染させられた世代である。同窓生にもC型肝炎に感染し、肝炎から肝硬変、肝臓ガンで苦しんでいる者が沢山いる。
私の注射は年一回、この予防接種だけだ。今の針は良く出来ていてチクリともしなかった。
病院の後、東京北社会保険病院下の公園で母を散歩させた。時折雨が落ち、濡れた紅葉が美しい。春の新緑や桜も好きだが、明るく光が満ちた紅葉は更に素晴らしい。散歩の後、母の車椅子を高台の病院庭へ押し上げ、紅葉をバックにハガキに入れる母の写真を数枚撮った。
桐ヶ丘生協へ回ってお昼の食材を買い、帰りは桐ヶ丘団地を抜けた。団地への上り坂で、八百屋がトラックから野菜を下ろして路傍に並べていた。昔、店主は赤羽台団地への上り坂路傍に店を出していた。その頃、私は毎日のように彼の露店で買い物していたが、露店に規制が入って、桐ヶ丘へ移動してからは行かなくなった。高齢化した桐ヶ丘は商売には不向きで、店を出すのは週に数日だけだ。
母の車椅子を押しながら露店の前を通ったが、店主は私だとは気づかなかった。20年前、ホンジャマカの石ちゃんそっくりの元気な風貌だった彼は、すっかり疲れてしぼんでしまった。今の様子ではこのまま道売りで終わりそうだ。
今、昭和30年代が何かと話題になる。それは郷愁だけでなく、地道に働けば誰でもささやかな成功を得られた時代だったからだ。今は店を開いても、余程安売りしないと維持するのが難しい。
それで思い出すのは赤塚不二夫の人情もの漫画「もーれつア太郎」の八百屋だ。昔は町内にそのような律儀な八百屋が必ず一軒はあった。朝早くから夜遅くまで開いていて、主婦たちは食事時に野菜がきれていると、気づいてから買って来た。客が年寄りだと僅かな野菜でも届けてくれた。野菜果物だけでなく、店には、魚の干物、缶詰から佃煮まで置いてあり、主婦達は店を冷蔵庫代わり使っていた。昭和50年代、そのような八百屋が消え始める頃から孤独死が増えたような気がする。
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