狭い台所での食事は、飲み屋の雰囲気。07年12月24日
クリスマスは我が家には関係ない。今日も、いつものように台所で夕食をとった。と言っても、テーブル椅子が揃ったダイニングキッチンではない。調理台をテーブル代わりにしての食事である。
母が倒れて以来、台所と母の食卓の往復が多く、一緒の食事は無理になった。それで、いつの間にか私は台所で食事をするようになった。
台所での食事は意外に快適だ。キャスター付きの椅子に腰かけると冷蔵庫も電子レンジも総てに手が届く。殊に、寒くなるこれからの食事は楽しい。ご飯は左手の冷蔵庫に保存しているのを取り出し、右手の電子レンジで温める。おかずは右手のガスコンロで干物を焼いたり、鍋物を温めたりしながら、直に食べる。コンロはストーブ代わりにもなる。工業用の頑丈なステンレス網を火にかけて赤熱させ、手をかざすと、炭火のように心地良い。
食器はできるかぎり少なく使う。時には刻んだおひたしをまな板から直に食べる。そのようなお皿代わりのまな板は松材を小さくカットしたものを使う。
食べ終わると、残飯は右後ろのゴミ箱へ、汚れ物は目の前の洗い桶に放り込む。我が家の背中が後ろの壁にくっつく台所の狭さは、馴染んだ飲み屋の雰囲気に似て心地良い。もしできるなら、目の前に薄型テレビが欲しい。パソコンと繋いで、昔の映像等を眺めながらの食事は楽しそうだ。
先日から、母は練り歯磨きが少なくなったから買ってくれと言っている。練り歯磨きは母と私は違う品を使っているので、点検するとまだ十分に残っている。
今朝も母は同じ事を訴えた。練り歯磨きのチューブを見せて「ほら、まだ半分以上残っているよ。」と言うと、母は「それは、洗顔クリームでしょう。歯磨きはそれよ。」と棚の空の洗顔クリームを指差した。どうやら母は取り違えて、洗顔クリームで歯を磨き、歯磨きで顔を洗っていたようだ。よく説明すると、「まったく、自分が厭になる。」と母は楽しそうに笑った。洗顔クリームの味は相当に酷いと思うが、思い込みの強い母は気がつかなかったようだ。
自然公園では、刈り残しの野イバラの実が紅色に熟していた。摘んで食べると仄かな芳香と甘酸っぱい味がした。ちなみに、リンゴ、梨、桃、カリンと果物の多くはバラ科である。
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