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2008年1月 7日 (月)

フリーズドライの七草は失敗だった。08年1月7日

朝食は七草がゆにした。いつもは生の七草を使うが、今年はフリーズドライを使ってみた。配合表に七草の名が揃っているのを見て決めたのだが、大根の葉ばかりで香り高い野芹等は見当たらない。おかげで、まったく野趣のない七草粥になってしまった。来年からは、いつも通り生の七草を使うことにする。しかし、来年も母が元気であるかどうかは分からない。そう思うと少し悔しい。

母の食事量は日に日にわずかずつ減っている。母自身もそれを自覚していて、何とか頑張って食べようとする。しかし、その僅かな無理に耐えられず、吐き気を催してしまう。今のところ、吐き気はナウゼリンを飲ませればすぐに治まるが、そのうちそれで治まらなくなるだろう。
食欲の衰えは、高齢の老人にとってごく自然な症状である。だが、いよいよ終わりが近づいたのか、との思いもある。来るべき日は猛暑の疲れが出る秋口が、誤嚥性肺炎による衰弱か推測してみるが、これだけは誰にも分からない。

とは言っても、午前中の母はとても元気である。今日は、大型犬の小次郎ちゃんと、名前を知らないコッカースパニエルと、小型犬のクーちゃんに触れ合えて、とても嬉しそうだった。母の命の炎は、ペット達や、自然や、小鳥達との出会いで支えられているようだ。

年末に忘年会をした時、親の死と介護の事が話題になった。友人達は、「近親者かどうかより、身近で世話をした兄嫁の喪失感が一番大きかったみたいだ。」と話していた。私はその会話に加わらず、黙って聞いていたが、兄嫁の気持ちはとてもよく分かった。
人の行動には必ず目標があるのに、老人介護にそれはない。終わった時、周囲は「よく頑張った。」とねぎらってくれるが、それで喪失感が埋まる訳ではない。それでも強いて得るものをあげれば、介護経験のない者より、自分の老いを受け入れやすい、くらいのものだ。

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